「財政の児童相談所」

〜財政による児童虐待を防止する政治的機能〜

 年末の平成23年度予算案の概要が発表された明くる日の早起き会に出席した。いつものように、「我も人もの幸せ」という言葉を会友の皆さんが頻繁に口にするのを聞いていて、ふと、今回の予算案の内容に思い至る点があった。

 皆さんが、「我も人も」という場合、それはどのような範囲を対象としているのだろうか、と。今生きている人たちなのか、将来の世代も含めた人なのか、ということである。

 平成23年度の予算を見えると、22年度に引き続き、凄まじいばかりの借金予算である。リーマン・ショック後の景気対策時の国債発行額のレベルを基準として、新政権は緩やかな財政規律を自らに課した。結果として23年度は22年度に引き続き44兆円規模の国債発行額。しかも、そのうち建設国債は僅か6兆円であり、38兆円は赤字国債である。将来に便益が及ぶ事業の財源である建設国債であれば将来世代がその負担を行うことに合理的説明は可能である。しかし、赤字国債は、その年限りの刹那的消費に消える支出を賄う財源である。しかもあと3年以内に国と地方の長期債務残高は1,000兆円を超えることが確実視されている。

 しかし、政権交代後の政府においては、抜本的財政再建に向けての建設的議論が行われていく兆しは見えない。菅総理の法人税率引き下げ、国が被告となった訴訟の上告断念、基礎年金の1/2国庫負担堅持といった一連の「政治決断」も、言ってみれば国民向けのサービス提供の政治決断に過ぎない。本来の政治決断とは、国民に負担を強いたり、耳触りのよくないことも敢えて問うのが本来の「政治決断」のはずである。支出を膨らましたり、税金を軽減するのが政治決断だとしたら、それは総理でなくとも誰でもがやりたい決断である。

 こうして知らず知らずのうちに、負担の後送りが進んでいくと世代間の深刻な格差が生じていく。格差と言っても、個人間の所得格差、地域間格差などについては大きな議論がなされてきた。しかし、世代間格差については、これまではあまり政治的に大きな焦点があてられることはなかった。

 しかし、これだけ膨大な借金が積み重なっていくと、日本における格差の中でもとりわけ大きな格差が世代間で生じることになる。

 1990年代に議論された「世代間会計」という考え方がある。米国の経済学者のコトリコフなどが提唱した考え方であり、世代ごとに、生涯を通じて政府サービスから得る「受益」とその財源として支払う「負担」のバランスがどうなっているかを現行制度前提に試算するものだ。

 平成17年に内閣府が「年次経済財政報告」の中でその結果を発表したこともある。また、最近では一橋大学小黒一正准教授により新しい試算も発表されている(「2020年日本が破綻する日」 日本経済新聞社)。

 小黒准教授の試算によると、50歳代と60歳以上の世代は受益が上回り、60歳以上は生涯で3,962万円の受益超過。50歳代では989万円の受益超過。他方、40歳代は172万円の負担超過。30歳代では833万円、20歳代で1,107万円の負担超過と若い世代ほど負担が重くなっていく。そして、何と、20歳未満と将来生まれてくる世代では8,309万円の負担超過となる。

 つまり、将来世代と60歳以上の世代を比較すると、差し引きで1億2,271万円の格差が生じる計算となる。

 冒頭申し上げた、「我も人もの」幸せを考えた場合に、これが果たして財政倫理に合致する実態であろうか、と言いたくなる。

 しかも、問題は、一方的に負担の重くなる20歳未満と将来生まれてくる世代には、政治的意思決定に参加する術がないのである。つまり投票権がない。参政権がないところに負担だけがしわ寄せされている。これは不正義ではないか、とすら言える。問題視されないのは、最も大きな被害者になり得る人たちが声を上げる場がないということである。

 これだけ世代間の格差が拡大し、更なる赤字の垂れ流しで更なる大きな格差が応じる状況を見て、「財政による児童虐待」(コトリコフ教授)を放置することはもはや許されない。そのために、東大の井堀教授は、かねてから「年代別選挙区」を提唱されておられる。各世代の意見が適切に選挙結果に反映されるように、世代別のバーチャルな選挙区を設定するという考え方である。これが出来ると、例えば若者の意見をきちんと代表する選挙区代表議員が一定数国会に確保される。選挙制度の常識からは考えられないような案であるが、考え方においては合理的である。

 私は、更に踏み込んで、例えば、20歳未満や将来世代の利益を擁護する選挙制度の仕組みを考えるべきだとも思える。例えば、20歳未満の世代の人数分をその人数に相当する票数を代行投票する権限のある有識者グループをつくる、というものである。国債の発行期間分の将来世代の想定人数を利益代表する有識者グループに代理投票させる、ということも考えうるかもしれない。

 これは、ある意味で、現在の政治の意思決定を司る現役世代が将来世代の利益を顧みない決定ばかりを行うのであれば、このような将来世代の利益を擁護してやる「財政の児童相談所」のような機能が必要になってくる、という政府不信の考え方である。

 「こども手当」が本当にこどもの為になっているかというのは検証できない。正確に言えば「こども手当」とは「子供を持つ親」の為の手当である。親が使えるそのお金の財源は、子供たちが国債の償還期間である60年間に亘って負担していくのだから始末が悪い。真に子供のことを思うのであれば、親を含む現世代の負担、つまり、租税によってその負担を賄わなければならない。そうであれば子供の負担にはならないという意味で、こどもは安心する。

 将来世代まで含めた「我も人もの幸せ」を確保するために、今こそ財政にも倫理観、節度が必要である。


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