むたい俊介
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長野2区 自民党
【メッセージ】
「地域に潜む「産業遺産」に光を!」
〜朝日村の周波数変換施設の意義〜
先般、東京電力の梓川水系の施設を訪問する機会があった。ダム、周波数変換施設などを担当者の皆さまの話を伺いながらじっくりと視察させて頂いた。奈川渡ダムなど梓川水系のダムの機能については、利水機能に加え、下流域の洪水調整機能が非常に高いという話も伺った。奈川渡ダムは、諏訪湖2個分の容量を持ち、貯水位によっては、台風2個分の水量を堰き止める容量を持っている程の大規模なダムであると再認識した。
梓川は暴れ川で有名であったものが、ダム建設以降、下流域の洪水が起こらなくなっているとの話は地元でもあまり知られていない。
人間は安全な状態に長い間置かれると、それが先人の苦労の賜物であることをふと忘れてしまうものなのかもしれない。
ところで、この地域への電力供給は歴史的経緯から中部電力が受け持っているが、実は長野県内の発電量については、東京電力(65%)、関西電力(23%)、電源開発、昭和電工、中部電力の順になっているということも意外に知られてはいない。発電に関して言えば、長野県は電力の地産地消が行われていないのである。
梓川のダム式発電所の下流域にユニークな施設がある。東筑摩郡朝日村にある周波数変換施設である。我が国が長野県を境に、東西で東日本が50Hz、西日本が60Hzと周波数が異なるなかで、東日本と西日本の間で電力の広域融通を行うために世界でも稀な周波数変換施設を松本市近郊に作っている現状を初めて承知した。明治以降の電力事業発足の歴史的経緯の中で、周波数統一に失敗した結果、従来周波数が異なる東日本と西日本の間で電力需給調整ができなかったものを、日本独自の技術を使い、1977年に「新信濃変電所」として我が国最大の周波数変換能力(60万キロワット)を持つ施設を建設したのである。この電力需給調整の結果、日本全国で相当数の発電所建設を節約でき、また、万が一の発電所停止のケースにも停電を来さずに電力供給がスムースに行われるようになっている。
先頃の地震により原発が緊急停止した際にも、原発から電力供給を受けていた地域はこの周波通変換施設を経由した電力供給により、停電を起こさずに、何事もなかったかのように事態を凌いだのだそうだ。周波数変換施設の急な電力移動があるときには、どこかの発電所でトラブルが発生したことのモニター機能も果たすことになるとの説明であった。
我々は普段、何の不便も感じずに生活しているが、人知れず、縁の下の力持ちの働きがあることを改めて思い知った次第である。
外周2キロの広大な敷地の中にそそり立つ設備は威容である。ところで、1977年に動き出した第一号施設は老朽化し現在は遊休施設化している。そして現在の計画では、これをスクラップすることにならざるを得ないとのことであった。 これを伺い、私は、こうしたものを「産業遺産」として後世に継承する意義を痛感した。国民、更には地域社会は、我が国の経済成長を陰で支えたインフラの価値に地域社会ももっと関心を持つ必要がある。
数年前に私が暮らした欧州では、「産業遺産」という概念が発達し、これを保存・公開し、若者の教育資源、更には観光資源として体系的に大いに活用している。例えば私は英国滞在中に、ウェールズの歴史的炭坑を訪問した。1860年に最初の本格稼働が始まったその炭鉱は”Big Pit”(「大きな縦坑」)と呼ばれ、最盛期は1,122人の労働者を抱え1980年の廃坑まで120年間続いた炭鉱である。英国は産業革命時に世界の産業を引っ張った地域であり、その中でも当時のエネルギーの中心であった石炭を産出したウェールズは隆盛を極めた。一時期は600もの炭鉱がウェールズにあったほどだ。政府は、閉山の3年後の1983年に、この炭鉱を産業博物館として蘇らせた。ウェールズ政府の肝いりのこの博物館は、縦坑を当時のままのエレベーターで地下深く(90メートル)まで下る。見学者はランプ付きのヘルメットを頭にバッテリーと非常用酸素マスクを腰にくくりつけ重装備で地下深くに下る。そして、採炭技術の進歩に合わせた地下の炭鉱遺跡を順繰りに回る。狭い坑道から比較的広い坑道まで様々な坑道があり、地下の馬小屋も壮観だ。一時期は80頭の馬が地下の坑道で働いていたのだそうだ。馬と一緒の地下の生活は厳しく、馬も人間も眼と肺を患うケースが多かった。ネズミとゴキブリが非常に多く発生し、それを駆除するために犬のテリヤも地下にたくさん入れたとの解説があった。
実は、欧州ではこうした産業遺産を巡るツアーシステムが立派に確立している。「欧州産業遺産の道」(European Route of Industrial Heritage ERIH)というサイトを見ると、欧州で訪問すべき産業遺産が非常に興味深く並べられている。
私は、地域に所在する産業資源にもっと光を当て、欧州並みにこれを歴史的文化遺産、観光資源として体系的に保全・活用する施策が必要であると考える。そのことにより、結果として、多くの国民の皆さんが、現在の生活が拠って立つ基盤の有難さを噛みしめ、我々が今日あるのは先人の苦労の賜物であり、現世代がそれを十分認識したうえで今後の我が国の行方を考えていく有り様にも繋がると思うからである。
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