むたい俊介
モバイルサイト

長野2区 自民党

【メッセージ】
「核シェルターを通して垣間見るスイスの国家意思」

(問題意識)
 5月11日から18日までの6泊8日のスイスの核シェルター視察ツアーは実り多いものになりました。世界の安全保障環境が不安定になり、我が国でも台湾有事を想定して様々な対応策を考えざるを得なくなっています。私自身は、これまでは議員連盟のメンバー(自民党シェルター議員連盟事務局長)の立場で、沖縄先島諸島に地下シェルター設置推進を政府に提言するなど、随分と遅れてしまった我が国の地下シェルターに関する後押しをして来ましたが、実はそのシェルターについては、スイスが国際基準を作り、実践して来ています。今回の視察の趣旨は、私も理事を仰せつかっている日本核シェルター協会の視察ツアーに参加し、そのスイスの実態を調査し、これからの我が国に於ける地下シェルター設置に関する政策に一定の貢献をすることにありました。視察ツアーには地下シェルター整備に関心のある民間企業、研究者、協会関係者33名が参加を得て、シェルターの設計思想、構造、管理運用、平時利用、それを支える民間企業の現状などを見ることが出来ました。

(イデオロギーに縛られる日本の問題点)
 そのスイスは、永世中立国として有名ですが、その為に国民皆兵、各家に地下シェルターを設置という体制を完備しています。国情の違いはあるとは言え、スイスと我が国の彼我の差は非常に大きいものがあります。ご同行頂いた原子炉工学の専門家の奈良林直北海道大学名誉教授の話では、奈良林先生が東芝に勤務していた時代、突如、原発の過酷事故の研究が停止になったことがあったが、その理由は、過酷事故の研究をするということは原発の安全性に疑問があるということではないかと反対派から因縁をつけられ、当局も日本の原発は安全であるからという理窟との整合性をつけざるを得なくなり各国との安全性強化の研究からの離脱を余儀なくされた経験があり、それが遠因ともなり結果として福島第一原発事故に結びついたのではないかと語っておられました。イデオロギーの浸透が真っ当な研究を止め、リスク回避の手段を制約している我が国の現実をそろそろ直視すべきではないかと強く感じたところです。実は、我が国に於ける地下シェルター整備も、日本は憲法で平和国家を憲法で謳っているのだから、他国から日本が攻められる前提で市民防護を考えるのは憲法の精神に反するから認められないという理窟で反対する勢力が少なからず存在することも事実です。特に私の地元ではそのような考え方の方が多いように感じられます。

 20年以上前に、私が総務省消防庁の防災課長兼安全保障会議事務局参事官として有事立法の一環として国民保護法制制定に関わったときも、野党の中(民主党の一部、社会民主党、共産党)には、国民の自由やプライバシーの侵害につながる、政府の情報統制や監視の強化につながる、地方自治体の権限の制約につながるといった理由で国民保護法制に強く反対する勢力があり、議論が紛糾した記憶があります。

 それでも国民保護法制は何とか成立し、住民避難、救援の仕組みや計画、その対処について規定がされ、運用も行われてきていますが、実はその中で避難する先の整備(シェルター)がしっかりと行われているかどうかが大きな課題となっていました。避難先と言っても学校や集会場など既存の建物が想定され、地下シェルターが指定されている事例は非常に希です。敢えて譬えれば、とりあえず指定しているといったイメージです。

(体系だったスイスの核シェルター整備)
 これに対し、スイスは、核シェルター整備の法律を作り、全国民が自宅ないし近隣のシェルターや公共シェルターに非常時に駆け込める地下シェルターの設置が義務付けらされています。自宅を作るときにシェルター設置の設計図がないと建築許可が下りません。どうしても地下シェルターが作れない場合には、個人が負担金を払い公共シェルターの居場所を確保するという枠組みも作られています。そして、その設置の基準については連邦政府の市民防衛局が基準を事細かに整備しているのです。

 視察では、連邦市民防衛局関係者の話を伺うと共に、実際に設置されている大小の地下シェルター、行政関係者用の核シェルター、一般市民用の核シェルター、特別の役割を果たす病院シェルター、核シェルター博物館、核シェルター設備・部品の認証を行いつつシェルター整備の基準作成の要の機関(シュピーツ研究所)、電磁パルス(EPM)からの防護を研究している国防省傘下のEPM研究施設、そして核シェルターの換気装置を手掛けるアンドエア社を訪問し、スイスの核シェルターを支える多くの体制に全体像に少しでも近づこうとしたところです。

 スイスでは、1960年代に本格的な核シェルター設置の法体系が形成されました。キューバ危機による核戦争勃発への脅威を背景にしたとされています。1966年には民間用核シェルターに関する技術指針TWP1966が定められ、これはスイスだけでなく世界各国の核シェルター整備の参考とされました。技術指針はその後改訂され、TWP1984、TWP2017と継承されています。

(国民皆兵と市民防護)
 スイスは、国民皆兵制度を敷いていますが、男性国民は兵役または市民防護義務のいずれかに就く義務があり、市民防護隊はシェルターの維持管理や災害時の救助活動などを担うことになり、このような体制が高いシェルター整備率(人口比100%超)の現実の背景にあるのです。スイスの核シェルター整備は、市民防護を最優先するという明確な法的義務付け、それを支える技術基準の整備、検証、そして国民皆兵制度という独自のシステムにより支えられ発展してきた結果だと言えるのです。

(核シェルター整備の見直し議論)
 そのスイスでも、東西冷戦の緩和の動きの中で、このような核シェルター整備を続けることが妥当かどうかの議論があったとのことですが、福島第一原発事故、ロシアによるウクライナ侵略(核兵器による脅しもあった)という新たな危機の発生を背景に、核シェルターの今日的位置づけについての再評価も行われている状況にあります。因みに、現在スイスにはライン系統河川の沿岸に5基の原子力発電施設が設置されており、一時期段階的廃止が決まったものの、ウクライナ戦争を経たエネルギー需要の逼迫の中で、今後ともその利活用を行うことが議論されています。

 そうは言っても、900万人国民の核シェルター整備を適切に提供することは大変な国民負担を強います。特に、地下の核シェルターに関しては、湿気対策、換気の問題が重要であり、換気装置の切り替え時期が到来しているとのことです。この対応をどのような形で進めていくか、現在連邦政府、連邦議会で大きな争点として議論がされているという話を伺いました。

(スイスの核シェルターの種類)
 スイスの核シェルターには、様々な種類があり、一般市民の避難用シェルターに加え、指揮命令系統のためのコマンドシェルター、病院シェルター、そして文化財シェルターといったものもあるのです。今回の視察では、文化財シェルターについては視察が出来ませんでしたが、今後の視察先として候補になると考えています。視察の途中、電気系統設備にEMPという表記が行われていることが気になりました。敵国が電磁パルス攻撃を仕掛けた場合に、電気系統が破壊され核シェルターの機能は止まります。その場合に、EMP防護の設備が施されている施設があるのです。しかしEPM防護の設備は高価です。訪問先の病院シェルターでも、重要度に応じて、同じ施設内の電気設備でもEMP対応を行っている設備とそうでない設備の2系統が併存しているという話には正直驚きました。

(永世中立と自国の守りの関係)
 今回の視察ツアーで再認識したのは、スイスは永世中立を保持するために、大変なコストを自国で払っているということです。永世中立ということは、非常時には同盟国が助けてくれないと言うことです。であれば、自力で自らの国の安全保障を護り、国民を護らなければなりません。国民皆兵の元、昔は各戸に銃と弾薬が備えられていたそうです。今は、銃はあっても弾薬は集中管理がなされているのだそうです。定期的に、銃の発射練習も行われているのだそうです。私の知り合いのスイス連邦工科大学ETHの山越葉子教授から、兵役期間、大学から学生が徴用され実験が停滞することは痛手だという話を伺いましたが、それでも学生は兵役自体は当然のこととして受け止め、問題は兵役期間に何を行うかは課題だと話している旨を伺いました。

(さて我が国はどうするか)
 さて、スイスと比較した我が国ですが、安全保障や市民保護の問題をそろそろ真っ当に対応していかないと、我が国の実情が国際社会からますます遊離する状態になりかねないと再認識しました。兵役を議論することになるとしたら、それは若い世代が担うことになりますが、その日本の若い世代の投票率は20%から30%と非常に低い実態にあります。日本では、消防団という独自の制度がありますが、その加入率も下がっている現状があります。本来、自らに関わりのあることに本来無関心ではいられません。ウクライナはロシアと戦っていますが、ロシア側には北朝鮮が参戦し、中国も間接的に支援に回っています。実は、ロシア、中国、北朝鮮は海を隔てているとは言え日本の隣国であり、この2月に訪問したウクライナの国会議員の方々から、日本とウクライナは同様の地政学的状況にあると指摘されました。ましてや、先島諸島に中国の脅威が忍び寄り(最近ではあからさまに実効支配の意図を押し出してきている)、北方領土はロシアに不法占拠されたままで、ロシア、中国、北朝鮮が北方領土周辺で大規模軍事演習を行っている実態も生じています。

 今回のスイス視察は、核シェルターという限られた制度の視察ではありましたが、全体の国家の方針の縮図のような中身になっているということを再認識する調査になりました。私自身も、こうした調査を更に深めて参りたいと思います。

←戻る
[1]プロフィール
[2]理念・政策
[3]選挙区の状況
[4]後援会のご案内
[5]お問い合わせ

[0]TOP
(C)Shunsuke Mutai