むたい俊介
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長野2区 自民党
【メッセージ】
「ロシアによるウクライナ侵略戦争3年を経て」
(戦時下のウクライナ訪問記)
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵略から丸3年がたちました。この間、戦闘は激化し、無垢のウクライナ国民が多数犠牲になっています。国際社会はウクライナ支援に多大なエネルギーを注いできましたが、ロシアも、中国、イラン、北朝鮮による支援を得て戦闘自体は有利に進めていると伝えられています。米国のトランプ新大統領が和平を唱えていますが、ロシアに有利な和平案にのめり込むのではないかと懸念されています。
そのような大きな国際情勢のうねりの中で、代議士在任中日本ウクライナ友好議員連盟事務局長を務めた私自身が、今回のウクライナ戦争をめぐる現状の中で何ができるかを考えながら、侵略戦争開始3年を経過する直前の2月中旬にウクライナの首都キーウを訪問して参りました。以下、その内容を少し詳しくご報告させて頂きます。
(代議士退任後の私の行動原理)
私は、2024年10月の総選挙の結果を受け、衆議院議員を退任しました。12年間に及ぶ議員活動で、文字通りありとあらゆる課題に直面し、国会議員としての判断を迫られ、案件によっては、私自身でないと対応が難しい課題(私に委ねられた案件、地元案件など)に対しても対応してきたつもりです。国会議員として副大臣、政務官として政府の中に入っての活動もできました。個別の課題に直面するたびに、様々な人的ネットワークを作りあげることが出来ました。国会議員として活動するメリットは、こうしたネットワークを強力に作り上げることが出来る立場が与えられてきたということを再認識しました。
さて、国会議員を退任した今後の活動に関し、何に取り組んでいったらよいかと自問自答して来ました。私としては、ライフワークである地域振興、防災対策・国土強靭化、自立エネルギー確保・再エネ振興、東京一極集中是正、中山間地対策などに関して、問題解決について深堀してまいりたいと考えてきました。
そうした中で、わが国では災害対応に関して、防災庁の設置を通じて対応能力、事前防災資源を充実していくことにコミットしています。私も、消防庁防災課長、安全保障会議事務局参事官などを経験した公務員時代から、内閣府防災担当政務官、内閣府原子力防災担当副大臣、自民党災害対策特別委員会事務局長など、国会議員となってからも災害対応を任務とする立場に立ってきました。各地の被災地にも通い、最近では能登半島地震対応でトレーラーハウスを活用した迅速な被災者支援対応をバックアップするなどの活動をしてまいりました。
(災害対応ノウハウを戦災復興に役立てる)
こうした我が国の災害対応のノウハウ、資源を、グローバルな展開に向けることができないかと、常々考えてまいりました。こうした中で、日本ウクライナ友好議員連盟事務局長を務めていた私は、ウクライナの和平機運が出てきていることに着目し、日本の災害対応ノウハウの一部をウクライナ側に提供することで、復興時にあってのウクライナ支援手段の複線化、多様化に資することを企画しました。
復興支援の手段は膨大なものがあります。私の場合は、自分自身が能登半島地震などでその投入に加わったトレーラーハウスについてウクライナ側に日本における進化の現状とウクライナに投入する場合のODA利用、投資案件としての組み立てについて、こちら側の考え方を説明しました。もとより、トレーラハウス開発製造事業者関係者の参加も得て、構成員4名の訪問となりました。
(戦時下のウクライナ訪問の難しさ)
そうは言っても、現時点では戦時下のウクライナです。在留邦人にはウクライナからの退避命令が出ており、日本からのウクライナ訪問も基本的には禁止されています。空襲警報も毎日のように発令されています。外務省とも相談し、例外的に渡航禁止解除が認められる取り扱いになっているウクライナ復興支援の目的をはっきりさせ、訪問の目的遂行の緊要性を示し、かつ滞在日数を最小限とし、警備会社の警護を盤石にする、ウクライナへの入国はポーランドからキーウへの列車利用に限る、などの条件をすべてクリアーしました。その上で、2月9日に日本を発ち、ロンドン、ワルシャワを経由し、11日から13日の2泊3日の短期滞在ながらもウクライナのキーウを訪問する機会を得ました。
それでも、滞在期間中、ロシアによるキーウへのミサイル攻撃があり、我々も宿泊場所のホテル地下のシェルターに2度駆け込みました。12日未明に行われた6基のミサイル攻撃ではキーウで1名が犠牲になったと翌日伺いました。ホテルから、対空砲火の音を聞いた初めての経験は驚きでした。
(10名の国会議員にトレーラーハウスの機能を説明)
今回のウクライナ訪問の目的は、日本の災害復興の経験を活かし、それをウクライナの戦災復興に役立てることにありました。様々な支援手法がある中で、我々の切り口は、機能性と環境負荷の低さ、経費の節約に優れたトレーラーハウスに注目し、その活用について関係者と議論を行うことでした。4名の訪問団は、トレーラーハウス製造会社、トレーラーハウスを所有し実際に災害現場でそれを活用している防災ボランティアの方、そしてシェルター整備の専門家に私を加えたチームでした。
日本ウクライナ友好議員連盟の会員を含むウクライナ国会議員10名、経済省、ウクライナ投資庁、復興庁、国会避難民支援委員会、商工会議所の幹部の皆様が我々の提案に耳を傾けて頂きました。更に、駐ウクライナ日本大使館、駐ポーランド日本大使館、JETROの関係者にもお話をすることができました。
(日本からの支援に対する高い評価)
今回の訪問で改めて感じたのは、ウクライナ側の日本の支援に対する感謝の気持ちが大変強いことです。遠く離れた極東の日本が、何故破格の支援を国を挙げてしてくれるのか、その理由を尋ねられるほどでした。このやり取りを通じて感じたことは、例えばトランプ大統領がウクライナ支援にあからさまな見返りを求めているのに対し、日本の支援は直接の見返りを求めることが無いことに、先方が感動しているのではとすら感じる局面がありました。
ひょっとしたら、これこそが武士道の精神ではないか、と私には思えました。「義を見てせざるは勇無きなり」、或いは「弱きを助け強きを挫く」という言葉に代表されるのが日本精神です。今のロシア、中国、更に言えば米国ですらその言葉の精神とは真逆の行動に出ていることは嘆かわしい限りです。
ところで、ウクライナで意見交換を行った皆様との意見交換の内容は概ね以下の通りでした。今回の訪問はこれからの広範な日本の復興支援の出発点になって欲しいと願い、出発点にするのだと誓っています。
(トレーラーハウスの活用とその利点)
日本では、能登半島地震などの災害を通じて、仮設住宅の代替手段としてトレーラーハウスの導入が進んできています。最近では、水循環システムを進化し、水利の環境が悪いところでもトレーラーハウスを設置できるシステムが開発導入されています。今回、トレーラーハウスについて、ウクライナ側でも以下のような利点について認識共有がなされました。
・設置コストの低減:一般的な仮設住宅よりも低コストで導入可能。
・機動性:必要な場所へ迅速に移動・設置ができる。
・快適性:床暖房などの設備により、寒冷地でも快適な居住空間を提供。
・資源の有効活用:不要になった場合も再利用可能で、廃棄コストがかからない。
(日本の防災経験の共有とウクライナ復興への応用)
日本は災害大国であり、その経験を活かした防災・復興支援の知見をウクライナに提供可能ですが、具体的には以下の点について説明しました。
・災害時の即時対応:日本ではトレーラーハウスを平時から備蓄し、有事に活用する仕組みを検討している。これをウクライナの復興計画にも応用可能。
・自律循環型システム:独立型で自立した水の循環システムを備えたトレーラーハウスを活用することで、インフラが破壊された地域でも独立した生活が可能。
・防災庁の役割:日本で進行中の防災庁構想を参考に、ウクライナの復興支援における官民連携の可能性についても議論。
(シェルター整備の視察と日本への示唆)
ウクライナでは、戦時下においてシェルターの存在が改めて重視されています。一方、日本では地下シェルターの整備がほとんど進んでおらず、沖縄県でようやく整備が始まったばかりです。今回の訪問では、ウクライナのシェルターの実際の機能を視察し、その知見を日本の国土強靭化の備えに活かす可能性についても検討しました。
(日ウクライナ友好議員連盟との交流)
訪問の一環として、ウクライナ側の議員連盟メンバーとの会合が行われました。ここでは以下の点が議論されました。
・ウクライナの復興支援における日本の役割
・地域レベルの交流促進:例えば、日本の朝日村でウクライナ産ビーツを栽培し、ボルシチのレトルト食品を製造する取り組みの紹介し、ビーツを介した自治体交流の可能性も議論。
・人的交流の強化:将来的な復興を見据えた日ウクライナ間の人的交流の可能性について。
(ウクライナ復興に向けた隣国ポーランドの拠点としての役割)
ウクライナ復興に向けた国際的な取り組みは、多くの国々の協力によって支えられています。その中でも、隣国ポーランドはウクライナ難民の最大の受け入れ国であり、人道支援やインフラ整備の面でも大きな貢献を続けています。さらに、ウクライナへの軍事
・経済支援を積極的に行い、EUやNATO内での調整役としても機能しています。復興の過程においても、ポーランドの関与は不可欠であり、両国間の経済的結びつきが強まる中で、ポーランド企業がウクライナの再建プロジェクトに関与する機会が増えており、エネルギー供給やインフラ再構築の分野での協力が期待されます。このように、ポーランドはウクライナ復興の要となる拠点国の一つであり、日本も復興支援に当たって、ポーランドとの連携の模索が選択肢の一つに上がると思われます。
(今後の展望)
今回の訪問は、ウクライナ復興支援のための第一歩であり、今後さらなるネットワークの強化と具体的な支援策の検討が求められます。日本独自の災害対応技術を活かし、ウクライナの復興に貢献することが可能であり、戦時下の中でも、できることについては早期の対応検討が期待されます。
(ワルシャワとキーウを鉄道で往復)
10日午後、駐ポーランド日本大使館に河野章大使、田島晃参事官、丸山史康二等書記官を訪問し、ポーランドから見たウクライナ支援の在り方を伺いました。人口3800万人のポーランドが現時点で100万人のウクライナ避難民を受け入れ、累計1000万人の避難民の経由地となっている現状、ポーランドがウクライナに対して格別な支援の気持ちを持っている経緯、今後のウクライナ支援の拠点地としてポーランドが重要な位置を占めるであろう予想などについて、大使の率直な視点を伺うことができました。11日早朝ワルシャワ中央駅から列車でキーウに向かいました。車中で同行の警備会社の方からウクライナのセキュリティ環境のレクを受け、IFAKという携帯非常時対応キットの説明も受けました。列車には1両に4つの監視カメラが設置というセキュリティ対策も講じられていました。広大な平原をひたすら直線的に広軌道の線路上を走る列車は安定走行。ポーランドの語源は平原という意。国境の街ヘウムの東でポーランド国境を越え、ウクライナに入りました。国境は沼沢地が隔てています。ウクライナもポーランドと同様、見渡す限りの平原の土地。茅野原が果てしなく広がっています。深夜、待望のキーウ駅に到着し、警備関係者に迎えて頂きました。羽田空港を出てから丸2日をかけての到着の初っ端、ドローン警報発令により駅地下シェルターに直行しました。ドローンが遠ざかった情報を得て、市街地中心部のドニプロホテルにチェックイン。ホテルの地下シェルターも予め視察しました。深夜1時過ぎにドローン警報が解除との通知を受けました。
(深い地下鉄シェルター)
12日早朝、キーウ市内のウクライナ独立記念碑、聖ソフィア大聖堂に設置された戦没者慰霊施設を訪問。日本人の義勇戦没者の写真も存在。更に、シェルターとしても機能している105mのエスカレーターで下る世界一の深さを誇るキーウの地下鉄も視察しました。
(ウクライナの国会議員、政府関係者と意見交換)
昼から午後にかけ、日本独自の機能を備えたトレーラーハウスをウクライナ復興支援に活用する可能性についてウクライナ投資促進機構のアンドリー・リツバニューク投資顧問に説明。復興時だけではなく現時点で需要がある、との前向きな発言。その後、ウクライナの実業家のオレグ・マガレツキー氏の紹介で、与野党の国会議員、コンサルタント、社会活動家の皆様と順に4時間半に及ぶ議論。我々が提案の自立型トレーラーハウスの機能については現時点での活用の可能性について深く認識を頂き、関係当局との情報共有についてコミット頂けました。オデッサ市の市長も務めたオレクシー・ゴンチャレンコ議員は、オデッサ市の避難施設需要が大きいこと、避難民対応の当局への情報共有の必要性の認識を頂きました。ウクライナの教育機関での日本との連携についての要請も頂きました。オレグ・ドンダ議員は地方開発庁との接触をアドバイス。米国のUSAIDがウクライナ支援から撤退する懸念と日本側への期待も示されました。4月14日から18日には訪日の予定の由。ウクライナで情報機関勤務経験のあるオレグ・シニャンスキー氏は、避難民エージェンシーとの連携についてのアドバイス。ウクライナ南部のニコライエフ地方では水の供給に制約があり、自立型トレーラーハウスの役割が大きいと指摘。ハリコフを選挙区に持つ女性議員のマリア・メゼンツェーバ氏は、戦災地域のハリコフでの需要が大きいと期待感を示されました。復興開発NGOエイジェンシーのタラス・バイク氏は被災地支援の枠組みにトレーラーハウス、シェルター整備も組み込む必要性を指摘。反植民地支配NGOのバレリ・ペカール氏は地方開発庁との連携を示唆。「make russia small again」という考え方も披露。ヤロスラフ・ユルチシン議員は、復興省、避難民エージェンシーとの連携、戦地に近い地域の需要が大きいこと、地元やNGOの意見を聞くことの必要性をアドバイス。ところで、通訳をお願いしているナタリアさんのご主人は東部戦線で戦死とのお話を伺い言葉を失う。ホテルのレストランでの夕食後、警戒アラートが鳴り、ホテルのシェルターに連日の待避。今回は30分でアラート解除。
(日宇友好議連メンバーとも意見交換)
13日午前中、キーウ市内の建築物の地下に設置された堅牢なシェルターを視察の後、ウクライナ商工会議所にてゲンナジー・チヅイコフ会頭、コンスタンチン・トカチェフ日本代理人、復興庁ヴィアチェスラフ・ディドキフスキー次長と意見交換。ウクライナ政府閣僚ビルで、ウクライナ経済省経済開発局マラショーク・ミハイロ副局長を訪問。議事堂近くで国会避難民支援委員会委員長パブロ・プロロフ議員と面談の後、国会委員会室(地下に設置)で日本ウクライナ友好議連のウクライナ側議員4名(ハリーナ・ミハイリューク議員、ヤロスラフ・ジェレズニャーク議員、オレフ・セミンスキー議員、アナスタシア・ラディナ議員)の皆様と順次会談。中込大使にも御同席頂く。皆様、異口同音に日本の支援に対する深い感謝の念を表明され、トレーラーハウス活用への期待も確認できました。この間、昼に、キーウJETRO事務所に勤務の坂口良平氏がご挨拶にお越しになりました。長野市出身(長野高校卒)の坂口氏はウクライナ人の奥様とキーウで暮らしており、今後の日宇交流に心強い味方になって欲しい。夕方、ミサイル攻撃で飛騨したキーウ市内の建築物を視察。道を隔てた発電所を狙ったとの見方を伺いました。夕刻、キーウを列車で発ち、リビウを経由しポーランドに入国。途中、何度も空襲警報が鳴る経験。
(能登半島地震で実感したトレーラーハウスの有用性)
今回ウクライナに展開しようと考えたトレーラーハウスの有用性については、能登半島地震での経験が生きています。令和6年正月に発災した能登半島地震から1年を経過しましたが、私はこの間、4回の被災地訪問を行って参りました。現在では被災地には5000軒を越える多くの仮設住宅が立ち並び、倒壊した建物の撤去も進み、ライフラインも不十分ながら改善し、被災地には何とはなしにほっとした雰囲気が漂っています。2025年の1月に訪れた輪島市門前町の門前高校では、同校に併設されている特別支援学級の生徒の為に3台のトレーラーハウスが設置されその鍵の引き渡しに立ち会う機会を得ました。門前高校では始業式に被災した校舎の修復が間に合わず、昨年末に急遽仮設教室としてトレーラーハウス投入が検討され、長野市に保管していたトレーラーハウス3台を牽引車で輪島市門前町まで引き込み、半日で無事設置終了となりました。特別支援学級の先生方は大喜び、床暖房も設置されたトレーラーハウスは校舎の教室よりも温かく快適だと大好評でした。この教室代替トレーラーハウスは1ヶ月過ぎると、また長野市に戻され、次の活躍の場に備えることになるのです。このタイプのトレーラーハウスは冷暖房はあるものの、トイレ、風呂、キッチンは備わっていません。一方で、能登半島地震後に設置された仮設住宅代替のトレーラーハウスにはこれらの機能も備わっています。特に、床暖房は寒冷地では好評で、一般の仮設住宅には無い機能として羨ましがられています。内灘町でトレーラーハウスに仮設住宅代わりに入居されているご婦人は、温かくて広くてと大満足の様子、長屋風の仮設住宅と異なり、独立性もあり、精神的にもほっとできるという話を伺うことができました。
実は、このトレーラーハウスは、機能性が高いわりに仮設住宅に比べ高価ではありません。長屋風の仮設住宅が物価高騰の中で、一戸1800万円するのに対して、諸工事費を加えても2/3程度の経費で収まり、しかも不要となっても壊すこと無く次の需要先に向けて転戦できるのです。一般の仮設住宅は、撤去、廃棄することとなり、資源の有効活用という意味で問題があります。
能登半島地震の直後、私はカンバーランド原田社長と発災後2週間で志賀町にトレーラーハウスを持ち込み、志賀町長に見てもらいました。当選直後の新人町長は、トレーラーハウスの機動性、機能の高さに目を見張り、その場で原田社長に50台の設置要請を行いました。しかし、その後、石川県当局の意向で、志賀町だけに偏った対応は適切ではないと、20台の設置に抑えられたという経緯があります。能登半島ではその後、仮設住宅の設置が進み、5000を超える住宅が整備されたのですが、それが必要量の整備がなされるまで1年近くを要しました。しかも設置費用が高騰したのです。今後、仮設住宅が不要になった場合の撤去、廃棄も見込むと、果たして仮設住宅のシステムだけでの対応が適切なのか否か、しっかりと考えるべき時期だと感じています。
これからは南海トラフ地震、東京の直下型地震など国難級超巨大地震が想定されます。その時に、地震が起きてから事後的に仮設住宅を作っているのでは災害関連死はうなぎ登りです。私は、政治活動をするなかでこうした問題意識を持ち、被災地に即時に駆け付けられるトレーラーハウスを平時から備蓄し有事には被災地に駆け付けるシステムの構築を政治の場で提言して参りました。その上で、普段、ただ備蓄するのではなく、例えばRVパークのようなところでキャンプ用に活用し、非常時に被災地に提供するというやり方(平時活用、有事機能)が望ましいと考えています。
米国ではFEMA が民間備蓄という考え方の元に、500万台のトレーラーハウスを平時活用有事利用というシステムを構築しています。勿論、非常時活用の際には、公的資金が投入されることは言うまでもありません。日本でも防災庁構想が動き始め、防災資源の平時からの備蓄について本格的な検討が始まっています。日本全体で災害時活用のトレーラーハウスがどの程度必要なのか、それをどのように効果的に準備しておくべきなのか、検討の行方に期待し私自身も、予てからの主張を実現する機会が到来したと考え、積極的に動いてまいりたいと考えています。
珠洲市訪問の際、泉谷珠洲市長に、珠洲市にRVパークのようなものを設置したらどうかと、水を向けました。珠洲市では、現在、一般の訪問者が宿泊できる施設がありません。私達が泊まった珠洲ビーチホテルも復旧工事関係者で満杯でした。RVパークのようなものを設置し、例えば珠洲市に設置のトレーラーハウスに全国の大学の学生が宿泊し、珠洲市の大自然の中で授業を受けながら地域を元気にする活動に従事するといったプロジェクトを立ち上げたら珠洲市がどんなにか活性化するであろうか、と申し上げました。トレーラーハウスの活用は災害時の有効性はもとより、地域活性化に結び付くのです。
実は、このアイデアには伏線があります。私は2011年の東日本大震災の際には神奈川大学教授でした。この大災害時に、学生に被災地支援の経験を積ませたいと考え、神奈川大学と友好関係にあった岩手県遠野市と連携し、神大ボランティア駅伝の仕組みを大学当局に提案し実現して頂きました。神奈川大学から岩手県にシャトルバスを往復させ、常に相当数の学生ボランティアが被災地支援の作業を行うという仕組みです。この制度の結果、多くの神大生が東北の被災地支援の体験を積みました。私もゼミ学生を伴い、何度か被災著に赴き、その記録を冊子にまとめ、ゼミ生が卒業する際にプレゼントしました。後で学生に聞くと、大学生活で最も思い出に残る経験であったという嬉しい声を聴きました。しかしこの時には、公共施設での雑魚寝で対応せざるを得ませんでした。
当時はトレーラーハウスという発想はありませんでしたが、時代は進んでいます。非常時に思いついたように対応するのではなく、普段から大災害に備える仕組みを用意すべきなのです。災害現場に赴く度に、様々な課題の出口が見えてきます。
(日本のノウハウ、資源で戦災復興支援を)
以上のような能登半島地震に際してのトレーラーハウスの役割をウクライナの戦災復興にも生かせないかというのが、今回のウクライナ訪問の原点になりました。謂わば、「能登からウクライナ」、なのです。
ロシアのウクライナ侵略後、日本国民の間ではウクライナに対し国民を挙げて同情の気持ちが満ち溢れています。今回のロシアによるウクライナ侵略については、日本は人道上の観点、正義という観点に加え、ロシアの暴挙が見過ごされることになると辛うじて保たれている現在の国際秩序が根底から覆され、中国などの独裁国家に対して誤ったメッセージを送ることになりかねないとの思いが広く国民の間に共有されているためです。ウクライナ訪問の際に、何故日本がウクライナにこれほどの支援を行うのかとの問いに、私は以上のお答えをしました。
それでもなお、日本は憲法上の制約があり、軍事的な支援はできないことになっています。一方で、ウクライナの国民を守る地対空ミサイルなどの迎撃用兵器くらいは何とかならないかとの意見もありますが、今の日本の政治状況でそれを直ちに決断していくことは難しいように思われます。いずれにしても、人道的、復興時の支援については、わが国には様々な分野で支援できる能力と資源が備わっています。
私は衆議院議員をやっている間、森英介会長の下で日本ウクライナ友好議員連盟の事務局長を務めさせて頂きました。ウクライナ支援の為に松本駅前で何度も募金活動を行いました。昨年2月にはウクライナのシュミハリ首相を国会にお迎えし、超党派の議員連盟でウクライナ支援について話し合いも行いました。その際に、ウクライナ支援については、与野党問わず全面賛成であるというメッセージをお伝えすることが出来ました。
ロシアによる執拗な軍事攻撃の中で、現在のウクライナを巡る状況は厳しさが増していると認識しています。しかし、いずれ平和が訪れるであろう時に備えて、我々も手を拱いて待っているわけにはいきません。
今回の訪問は、考えられる数ある日本の支援策の中でも、新たな日本の技術アイデアの進歩について情報を共有しようというものです。その一つとして、トレーラーハウスを活用した機動的な復興支援をご紹介したいと考えています。日本は災害大国です。災害対応、復旧、事前準備については、大きな蓄積があります。被災地での被災者の生活支援の一環として仮設住宅の建設が日本では一般的ですが、そのコスト、スピード感に課題があり、最近ではトレーラーハウスを活用した被災者支援が注目されています。私も能登半島地震の際に、その投入の手伝いをしてきました。
トレーラーハウスは需要に応じてどこにでも赴くことが出来ます。おまけに最近の技術の進歩で、水の循環システムが研究され、上下水道に繋ぐことなく、自律独立循環型で稼働する仕組みが生み出され、実装されています。今回のウクライナ訪問ではそのシステムのご説明に伺います。トレーラーハウスの活用は、住宅事情に困難を抱えるウクライナの国民にとっても、そして復興支援の為に駆け付ける日本の人々にも極めて利便性の高いものと考えています。ウクライナ側でもこうしたシステムの存在について今の時点から認識頂けるようにすることの意義は大きいと考えました。
今回の訪問では、ウクライナにおけるシェルターの機能についても注目していました。ウクライナはシェルター大国だと認識しています。戦時下でシェルターの存在感が際立っていると思います。一方、日本では地下シェルター整備がほとんど進んでいません。私は、シェルター整備の議員連盟の事務局長もしていましたが、議員連盟の動きもあり、漸く、中国と国境を接する沖縄県での整備が始まったばかりです。今回は、戦時下におけるシェルターの実際の機能についても自分自身で体験し、その課題も認識できました。
日本ウクライナ友好議員連盟のウクライナ側のメンバーとの会合も実現できました。友好議員連盟の前事務局長の立場として、実際にウクライナを訪問できたことは嬉しく感じます。日本とウクライナの関係についいては、日ウクライナ政府間の交流に加え、議員連盟としての交流も重要であると考えています。実は私の地元の朝日村では、ウクライナ名産のビーツを栽培しており、そのビーツを原料にボルシチを作り、レトルトにして販売しています。朝日村では、いずれ平和が訪れた際にビーツの産地との交流をしたいとの希望もあります。そういう地域レベルの関係強化も視野に入れて息の長いお付き合いをしてまいりたいと思っておりましたが、議員連盟の皆様にはその橋渡し役も期待し、今回の訪問ではその趣旨もお伝えできました。
ウクライナ訪問に先立ち、2月6日には、永田町で訪問団の結団式を行いました。キーウ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏からウクライナ戦争の今後の展望について、ロシア側の本質的な狙いを見据えた冷静な見方を伺いました。ロシアとしては、ウクライナ全土を掌握することが目的であり、停戦案もその目論見に沿ったものでなくては受け入れない、仮に停戦が実現するとしたら、戦っても占領地が拡大する見通しが立たないこと、戦費が枯渇することといった外的な事情がない限りは戦争は続くとの見立てを披露していました。その意味では、復興支援と言っても、戦時下の復興支援という限定された支援活動にならざるを得ない、とのご指摘をいただきました。それでもなお、現時点で訪問する意義はあると考えたところです。訪問先からは、トレーラーハウスのような機能は、復興時にはもとより、今でも必要だとの指摘はそのことを物語ります。
(戦時下のウクライナの住宅事情)
さて、トレーラーハウスを紹介するウクライナの住宅事情はどのようなものなのでしょうか。今回の訪問で、戦時下の住宅問題の深刻さを再認識しました。ウクライナの戦災避難民の問題は特に深刻であることを、パウロ・フロロフ議員から伺いました。フロロフ議員はゼレンスキー大統領の与党に属する議員であり、国会の中で避難民対策委員会の委員長をお務めの方で、特に避難民の住宅問題に関して強い責任感をお持ちでした。フロロフ委員長から伺った話はショッキングでありますが、以下のとおり共有したいと思います。
・ウクライナでは、現在、国内避難民が500万人、ウクライナのロシア支配地の避難民が600万人、海外避難民が700万人を数え、全体で1800万人という途方もない避難民を生み出す状況になっている。
・避難されている皆様の生活の安定の為に特に重要なのが住宅問題であることは言うまでもない。2023年の国連の調査では、ウクライナの350万人が住宅喪失という事態に見舞われているという実態がある。
・これに対して、仮設住宅の設置や住宅の新築を行う必要があるが、ウクライナ政府は予算を戦争遂行に使っており、財政的な余裕はない。
・そうは言っても、政府も手を拱いているわけにはいかないので、現在、国の土地・建物で住宅に転用可能なものがどのくらいあるのか、全国調査をしている。その数の把握を行い、使えるものがあるのかどうか、仮設住宅データベースを作り、避難民の皆様にマッチングのサービスを行うつもり。その趣旨は、ウクライナ政府の側でも、ウクライナのリソースをしっかりと活用し、自助努力し得るところはしっかりとやっているのだということを国際社会に訴える意味もある。
我々訪問団の側からは、災害多発国日本における被災者の住宅支援の枠組みをお話しする中で、最近では、迅速対応可能なことに加え、WOTAが手掛けている自立分散・循環型の水利システムも具備した機能が充実したトレーラーハウスが開発され、被災地で実装されつつあるというシステムの紹介をしたところ、大きな関心をお寄せいただけました。
とにかく膨大な住宅需要がある中で、どこから手を付けていったらよいのか、想像するだけで困難が予想されます。日本で開発されている仮設住宅やトレーラーハウスの費用が高価であることを心配する声も伺いました。スペックの調整、日本からの輸出はモデル的なものに止め、ノウハウや技術を提供し、現地で生産するという仕組みの構築もありうると我々からは提示しました。
戦時下の今回のウクライナ訪問でしたが、和平の兆しが出始めている中で、復興後に向けての歩みは今から始めていかないとなりません。お会いした多くの国会議員の皆様からは、同じウクライナと言っても、地域によって住宅事情は大きく異なり、特に戦災の被害を受けたニコライエフ、ハリコフ、オデッサといった地域は、水利にも支障が生じており、自立分散型のトレーラーハウスの可能性は大きいとの認識を承りました。一方で、復興に際して世界中から避難者がウクライナに戻り、支援要員も世界各国から訪れる際に、ウクライナ全土での住宅需要が高まり、その対応を今から考えておかなければならないとの指摘もあり、我々の活動の意義を意識しました。
ウクライナからポーランドに立ち寄った際に、ウクライナを兼轄するジェトロワルシャワ事務所の関係者ともこうした問題意識を共有し、ODAに加えて、ウクライナへの様々な分野での投資の可能性についても意見交換しました。
(ポーランドはウクライナ支援の拠点)
ウクライナ訪問に先立つ前日、2月10日、ワルシャワの在ポーランド日本大使館を訪問し、河野晃大使、田島晃参事官、丸山史康二等書記官と面談しました。我々は、我々自身のウクライナ復興支援に向けての思いを伝え、ウクライナの復興支援に対し、隣国のポーランドから見た支援についての見方を伺いました。
我々からは、今回の訪問の目的を伝えました(ウクライナの復興時に役に立つであろう支援機能の一つとして、最近能登半島地震の被災地で注目されているトレーラーの活用、それも自律分散型浄水機能を備えた最新トレーラーハウスが有効であることを情報共有し、併せて戦時下のウクライナにおける地下シェルターの現状についてお話を聞くため)。
河野大使からは、ロシアによるウクライナ侵略が始まって以来、累計で1000万を超える避難民を何らかの形で受け入れ、現在でも100万人規模の避難民がポーランドに避難している実態を伺いました。人口が3800万人のポーランドにとっては考えられない規模の支援です。当初は、ポーランド人の各家庭に滞在する形も多かった避難民ですが、戦争が長期化するにつれ、アパートや避難所で暮らす人も多くなっており、生活支援が課題となっているというお話も伺いました。避難民の子供たちはウクライナ本国からのリモート授業を受けていましたが、2024年の秋の学期からはポーランドの公立学校に編入しポーランドの子ども達と共に授業を受けるようになったとの話も伺いました。言葉の問題、学校の教師の負担など新たな問題も生じているとのお話もありました。
歴史的にロシアに虐げられてきたポーランド人の間では今回の戦争被害を受けているウクライナ人を助けたいという気持ちが強く、多くのポーランド人の自宅で避難民を受け入れる対応が行われてきている、しかし戦争の長期化でそれが負担になっていることも事実である、一方で経済成長を続け労働力不足に悩むポーランドでは避難民の労働力が貴重な資源になっており、結果的に経済の下支えの機能も果たしており、大量の避難民が帰国する時のショックはそれなりに大きいとの見方も示されました。
ウクライナと国境を接するポーランドでは、ウクライナとの密接な交流の実績もあり、ウクライナの国情(汚職文化)もよく理解しているという実態があり、ウクライナの復興支援の際にもその前線基地となることが見込まれ、支援に入る日本企業もポーランド企業との連携によりこれを行うことの検討もできるのではないかとの指摘もありました。
日本と異なり、手持ちの兵器をウクライナに譲渡する形で軍事支援も続けるポーランドは、国民の多くが国防費の増額に理解を示しており、2024年の対GDP比で4.7%という高い比率を実現しているが、これもロシアに対する伝統的不信感の表れであるという見方もありました。ポーランドでは、旧ロシア、ソ連時代から独立を目指す蜂起が相次ぎ、放棄した国民はシベリア流刑になり、そこで日露戦争などの戦争に徴兵され、例えば日露戦争時には、ロシア兵として日本軍と戦いながらも日本に同情的で、戦争の意義を感じない兵士は「マツヤマ、マツヤマ」と言って投降した経緯もあるとの話を田島参事官から伺いました。マツヤマとは松山市のことで、ここには日露戦争時に捕虜収容所があり、国際条約に沿った適切な捕虜対応がなされ、ロシア兵の間では「憧れの地」と映っていたという歴史の挿話も伺えました。
河野大使の話によると、ポーランド人は、日本人と似て、真面目で勤勉で我慢強いところがあるのだそうです。欧州の中では低賃金、二次産業に従事する国民も多く、地道に国の発展を支えているようです。昔は西欧への労働力供給基地であったものが、最近では自国に留まって働く人が増えているようです。これは非常に良いことです。在ポーランドの日本人は現在2000人程度のようですが、両国の交流もこれから進展していくことが期待されます。ウクライナ復興支援もそのきっかけになるかもしれません。2024年には長野県坂城町とワルシャワ郊外のツェレスティヌフ郡との友好協力関係が締結されたというお話も伺いました。自治体間の交流もその重要な手段です。
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