むたい俊介
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長野2区 自民党

【メッセージ】
「沖縄の戦跡を訪問して考えたこと」

 7月12日、沖縄県糸満市の沖縄戦の最後の激戦地、摩文仁の丘、ひめゆりの塔を訪問する機会がありました。来年の戦後80年を前に、かねてからの念願の沖縄の戦跡を訪ねることが叶い、感慨を覚えています。私は長野県護国神社氏子総代会長を仰せつかっており、現在の日本の平和と繁栄は、先の大戦での戦没者の皆様の犠牲の下に築かれているとの思いを胸に沖縄訪問を行わせて頂きました。

 私は、亡き父が、満蒙開拓団の一員として、終戦直前に関東軍に入隊、敗戦でシベリアに送られ1年11ヶ月の強制労働を経験した経緯もあり、戦争と平和の問題に関しては若い自分から特別の関心がありました。「戦争と平和」、「人間の条件」、「夜と霧」といった小説、ドキュメンタリーに加え、「実録太平洋戦争」、「失敗の本質」といった戦争の本質に迫る書物も読んできました。戦争特番とも言うべきNHKの「映像の世紀」には食い入るように観て参りました。

 本や映像だけではなく、実際に戦争や惨劇の現場となった戦跡も訪問する機会を多々得てきました。昭和55年に(旧)自治省に入省後の直後赴任する県には広島県を選択しました。当時の自治省は、最初の赴任県は自分で希望を提出することが出来たのです。当時の広島は、原爆投下から35年を経ていましたが、23歳の私は、実際に広島市に住んでみて、少しでも被爆地の実相に触れてみたいと考えたのです。役所勤務の時代には、長崎市の被爆地も何度か訪問しました。同じ被爆地でも、広島市はウラン型原爆、長崎市はプルトニウム型原爆の投下を蒙り、米国は二つの種類の原爆の差異を実際に実験したという解釈を私は納得して受け入れています。最近、マンハッタン計画を主導したオッペンハイマーの軌跡を「映像の世紀」で観ましたが、原爆を開発する側の論理を、怒りを堪えながら学習しました。

 2007年から2008年にロンドンに赴任した折には、長男を伴いチェコのテレジン強制収容所を訪れました。そして、国会議員となってからは2023年にポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪問しました。意図的にユダヤ人という「敵」を作り上げ、人々の怒りをそこに向け、戦争遂行の大義としたナチスのあざとさを心に刻みましたが、アウシュビッツ収容所は、その展示方針の中に、ナチスを非難するのではなく人間の本質には人の心をそういう行動に駆り立てかねない闇があるということを自覚すべきとの啓発の姿勢が色濃く垣間見えました。アンナ・ハーレントが指摘した「凡庸な悪」の意味を我々もしっかりと認識しなくてはなりません。

 思えば、我々が日々接する政治的対立も、意図的に相手方を悪者に描き、それを攻撃するという手法が日常的であり、有権者の側は、よくよく意識してそうした手法を冷静に見抜かなければならないと思った次第です。特に、最近はSNSを駆使して、瞬く間に人の評価を上げ下げできる時代であり、ナチスのゲッペルスが映画(「意志の力」など)を活用しナチスに国民的熱狂を引き寄せた時代よりも危険度は増していると思われます。最近の東京都知事選挙で、SNSを駆使して次点に食い込んだ石丸伸二氏の姿に、私はゲッペルスの亡霊を垣間見ました。

 東南アジアの戦跡も訪問してきています。ミャンマーのインパール作戦犠牲者慰霊碑、フィリピンのミンダナオ島戦没者慰霊碑も訪問させて頂きました。私は、日本ソロモン諸島友好議員連盟の事務局長でもあり、機会を得て、ガダルカナル島の戦跡を訪ねたいと願っています。

 今回の沖縄戦跡訪問も加わり、私の慰霊訪問の履歴に厚みを加え、私なりの歴史認識と平和実現の手段についての考え方を深めて参りたいと思っています。それにしても、歴史は繰り返すという感が強い昨今です。ロシアのウクライナ侵略は、ナチスのチェコ侵略から始まった第二次大戦の展開を彷彿とさせます。中国の国際秩序再編の野望は、戦前の日本の東亜新秩序構築の動きと重なって見えます。憲法上の制約で、我が国は世界の平和構築に当たって取り得る手段が大きく制約されていますが、その現状が正しいかどうかも含め、将来の平和構築、安全保障制度の確保を考えていかなければなりません。

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