むたい俊介
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長野2区 自民党
【メッセージ】
「幼少期の心の原風景こそが地域再生の鍵」
〜大人になって自分を支えるのは子供時代の自分自身〜
地方都市、農村地帯、中山間地域、山岳地域を幅広く包含する長野県第二選挙区内を廻っていて、各地域の地域づくりの取り組みと様々なアイデアを伺う機会に恵まれる思いがしている。
2008年の12月上旬、北小谷の大網地区を訪問した。知り合いの諏訪神社総代の今井力さん宅を訪問した後、たまたま大網地区の外れにある北小谷小中学校大網分校が廃校になった場所を通りかかった。そこは、アウトワード・バウンド・ジャパンという野外体験団体の基地として再利用されていていた。
この団体は、アウトワード・バウンド・スクール(略称「OBS」)という世界にネットワークを持つ非営利の世界的冒険教育機関の一つであり、登山、沢登り、ロッククライミング、マウンテンバイク、カヤックなどの冒険活動を通して、自己の可能性やあり方、他人を思いやる心など、豊かな人間性を育むことを主な目的に活動を続けている団体である。
OBS発祥の地であるイギリスでは、船が出航する前に船尾に旗を掲げるが、「アウトワード・バウンド(Outward Bound)」とはその旗を指し、旗があがると船が出航前の最後の準備をしていることを表すのだそうだ。この「最終準備」を転じて、自然の中の体験を通じて本当の自分自身を知り、自分がどうありたいかという意志を持ち、そのことを社会の中で実現しようとする力を養うことを目指すのがこの団体の活動目標とのことである。
この団体の活動は、都会の青少年の自立心を養うのに役立っているのみならず、後述のとおり、「限界集落」と呼ばれる大網地域の地域振興の糸口にもなりかけているという話を、シンポジウムで伺うことができた。
さて、大網訪問後、小谷村多目的ホールにて「里山のきずな、守るには?」と題したシンポジウムに参加する機会があった。「限界集落」の再生に向けた取り組み事例として大網地区を取り上げた内容であった。大網地域にそれぞれの立場でかかわってきた原俊司さん、横川寛さん、梶谷かやさん、の実感のこもった話を伺うことができた。
原さんは「大網地区の四季のお祭りが集落の誇り」であり、これが続く限りは集落は続く、と地域アイデンティティー継続に向けた主体的取り組みの重要性を強調されていた。
横川さんは、大網を離れた後継ぎの人たちも、いずれは大網に戻りたいのと願望があり、戻らなければならないとの宿命も感じている人が多い、との認識を述べられ、この人たちの気持ちを繋ぐために、大網の祭りや行事などに参加を呼びかける情報網、ネットワークの形成に大網再生の希望はある、との思いを表明されていた。
横川さんは、更に、元々大網には「一人は皆のため、皆は一人のためにヅクを出す」という気質があり自治の縮図が大網気質に凝縮してきた、仮に大網が消滅するとしたら、それは人口が少なくなる時ではなく、その気質が消えたときである、と喝破した。
梶谷さんは、上述の「OBS」が縁で東京からこの地域に移り住み、3人の子育てを経験し、風土の持つ教育力の意味を認識した体験談を紹介された。集落皆がお互いに家族同様の付き合いをし、お互いの安否を確かめ合い、子育てする身にとっては、「伴に育て」、「見守られている」という安心感を感じたとの体験談であった。
子供たちにとっては、日々の自然の移り変わりに敏感になり、自然を楽しみ尽くす生き方が身に付き、それこそが「風土の持つ教育力」であることを実感したという話であった。そしてこの思いは子供たちにとって忘れ難い原風景になるだろうと。
梶谷さんは、2008年4月に101歳で亡くなられた児童文学作家の石井桃子さんの言葉を噛みしめているとの話もされた。それは、「子供たちよ 今をしっかり楽しみなさい。大人になってあなたたちを支えるのは子供時代のあなたたたちなのですから」という言葉であった。
限界集落の典型例と解説される大網地区ではあるが、このシンポジウムに参加して、この地域の再生の火種は決して尽きていないことをひしひしと感じた。キーワードは、「誇り」、「文化継承」、「子供」、「交流」、「主体的意識」である。
さて、数日後、今度は安曇野市内で松本市出身の熊井明子氏による「安曇野の田園生活を豊かに〜英国の暮らしに学ぶ〜」を聞く機会があった。彼女は安曇野市出身の故熊井啓映画監督の奥さんで、英国を頻繁に訪問し、英国人の暮らし振りを熟知され、それに基づいて我が国の安曇野の地域社会の今後の行方について考えるヒントを与えて頂いた。英国は農山村が美しく、豊かに輝いている国である。
熊井氏はその美しく豊かな農山村を継承できている英国人気質のエッセンスとして、
(1)マイペースであり人のことは気にしない、
(2)一般の人がボランティアに熱心であること、
(3)安上がりに「今」を楽しむ術に長けていること、
を引き合いに出しながら、経済面ばかりを重視し都会生活に拘る日本人に対して、英国人気質を踏まえた安曇野振興のアドバイスとして、
(1)山、空、水の美しさを守り、内外にアピールすべきこと、
(2)古い民家を壊さず現代に生かすこと、
(3)遠景を楽しめるスポットを探し、内外に売り出す、
(4)ウォーキングにより廻れる地域としていくこと、
(5)オープンガーデンを幅広く導入すること、
(6)地域に誇りを持ち、地域の歴史文化を掘り起こしそのことを子供たちに伝えていくこと、
(7)「山」の文学を掘り起こし子供たちに伝えること、
(8)農業で暮らしがたてられる制度を構築すること、
を提案されておられた。
また、都会から移り住む人も、自分たちがその地域から「何を得られるか」だけではなく、「何を与えられるか」という相互主義の考えが必要であり、よりよい故郷は、「在ると思えば在る」の気持ちで自分自身で作っていくという主体的な気持ちが大事とのメッセージをなされておられた。
安曇野は、故熊井啓氏が口癖のように、「俺が死んだら魂の帰るところ」と言っておられたところなのだそうだ。熊井啓氏は幼少時に親しんだ安曇野の自然をこよなく愛し、人一倍「故郷忘れ難く候」との思いが強かったようである。
さて、この熊井啓氏に限らず、小谷村大網の離村した後継ぎたちも「故郷忘れ難く候」の気持ちが強く残っている。子供の頃の故郷の風景、生活を存分に楽しむことは、その後の人生の糧になり得るものなのである。先に紹介した石井桃子さんの言葉どおりである。
どうも地域再生の火種は、子供の時代の「故郷での生活、教育にある」ということになってきそうである。私も、広く自分の出身地域を廻っていて地域再生の最大公約数的なキーワードに辿り着きつつある思いがする。感受性の強い子供時代の農山村体験、故郷体験を制度化することが、子どもにとっても地域にとっても大変意義深いことのように思われる。
小学唱歌「ふるさと」にある、「志を果たしていつの日にか帰らん。山は青きふるさと 水は清きふるさと」という気持ちは、日本人共通の精神の基底に在るものなのかもしれない。そしてそれこそが地域再生の原動力なのだ。
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