むたい俊介
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長野2区 自民党
【メッセージ】
「故中嶋嶺雄国際教養大学学長の死を悼む」
〜徹底してローカルなものが国際的な価値に繋がる〜
中国研究に関しては日本を代表する学者であり、大学教育に関しても高い理想を掲げそれを実現してしまう行動力も併せ持っていた国際教養大学学長の中嶋嶺雄先生が2013年2月に突然お亡くなりになられてから3カ月が経過した。
連休明けの5月12日には出身地の松本で追悼の会が催行された。中嶋先生を慕う多くの方々が先生の遺影に菊の花を手向け、故人とのお付き合いの深い方々から追悼の辞が語られた。
中嶋先生が私の高校の先輩であったことから、私自身の人生の岐路に於いていろいろとご相談させていただいた私も、偲ぶ会に参列させていただいた。
中嶋先生が中央教育審議会委員の一時期は、私が三位一体改革の関係の仕事に従事し御指導を頂戴した。私がロンドン勤務の頃は、在ロンドン日本人会の会合の折に中嶋先生に講師をお願いし、快くお引き受けいただいた。私が政治の道に踏み出そうか否か迷った際には、前向きで的確なアドバイスを頂戴した。最初のチャレンジに失敗した後も、自分の志を曲げないで頑張れと励ましをいただいた。金美麗さんという日本人自身が忘れている日本の価値を説く論客を御紹介いただいたこともあった。
その中嶋先生が他界されて、改めて中嶋先生の半生を辿る文章に接した。平成9年に地元情報誌「松本平タウン情報」に掲載された「私の半生」という小雑誌である。40ページほどの小冊子であるが、中嶋先生の生き方、考え方、人柄が率直に描かれている文章である。
学者として、国際人として、音楽愛好家として、教育家としての赫々たる偉業を成し遂げた中嶋先生は、実は無類の愛郷家でもあった。亡くなる直前まで超多忙の中にも拘らず、地元への貢献として、母校である松本深志高校の同窓会長の職、鈴木メソッドの才能教育研究会会長を快くお引受けになられ、数々の難題に挑戦し成果を上げられた。
一流の国際人として世界を股にかけられた中嶋先生が、地元信州に寄せた辛口の言葉が印象深い。
「信州人はとかくプライドが高いが、国際的な視野にはいまひとつ欠けているようだ。長野県には、かけがいのない自然がある。その自然と共生することが大前提だが、最近は信州らしい特徴が次々と失われ、標準化、画一化されていくことに寂しさを感じる。便利になることに反対するわけではないが、ローカルなものは徹底してローカルにしていってこそ国際的な価値にもなるのにと思う。生まれてから今日まで信州を誇りに思い、松本を愛し続けてきた。世界を巡る時、いつも心にふるさとがあった。東京や世界で仕事を終えたら必ず信州に帰ってこよう。中町を通り過ぎて、ふと後ろを振り向くと、懐かしいアルプスの峰々が夕日に映えて美しい。」
この言葉は、実は、そのまま私自身の心境である。中嶋先生も、私が政治を目指す決意を打ち明けた際に、「務台君はふるさとを思う気持ちが人一倍強い。この地域にはそういう人が政治家として必要だ。時間はかかるかもしれないが、粘り強い活動によりふるさとの人は必ず君の志を理解してくれる」とおっしゃっていただいた。
松本深志高校時代に山岳部に所属されておられ、アルプスをこよなく愛した中嶋先生には、国民の祝日「山の日」制定に向けての応援をお願いしたいとも考えていたところであったが、それが叶わないことになり誠に残念である。しかし、先生の遺志は私に乗り移っているという私自身の思い入れもあり、アルプスの高嶺を目指し、頑張って参りたい。
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