むたい俊介
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長野2区 自民党
【メッセージ】
「TPP議論のもう一つの視点」
2010年10月下旬名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催されている最中、前原誠司外相は、環太平洋連携協定(TPP)への我が国の参加に関連し、「日本の国内総生産(GDP)における第1次産業の割合は1.5%。1.5%を守るために98.5%のかなりの部分が犠牲になっているのではないか」と述べた。
TPPへの参加への賛否は別として、我が国の外務大臣が、生物多様性という数字で測れない価値について議論しているCOP10開催の最中に、農業の持つ意味を経済的貢献という数字のみで捉えている点に強い違和感を覚えた。
故郷に戻って地域を巡る中で、地域社会が如何に農業に大きく依存しているかを痛感する毎日である。人々の生活、景観、祭り、歴史、文化といった各局面に亘り、農業は表向きの生産金額では測ることができない存在感がある。
「農と自然の研究所」代表理事の宇根豊氏から、日本で生まれている赤トンボ200億匹の99%が田んぼで生まれて、休耕田の増加、耕作放棄田んぼの増加により、赤トンボの生息環境が脅かされているという話を伺う機会があった。同様に日本で生まれている1,000億匹のオタマジャクシの97%がやはり田んぼで生まれているのだそうだ。
松本市島立の農家の主婦の方からは、「このあたりの農家は何haも農地を持っている人がいるが殆ど儲からない。スーパーのレジに立つほうが収入がよいので耕作を止めている人が増えている」との話を伺った。農業所得が低迷する中で、農家の水田耕作意欲の低下が赤トンボや蛙の数の減少という結果をもたらしていることは間違いのないことのようだ。
問題はこの事実をどのように考えていくべきか、ということになる。「前原流」議論を演繹すれば、水田は米を作るためのもので赤トンボや蛙を養うものではない、との意見も当然あるだろう。しかし、そういう見方自体を変えていかなくてはならない。我々は、日本の農業の在り方に新たな視点を提起する哲学が必要である。農業生産額にのみ関心を持つのではなく農業の持つ環境保全機能を重視しその価値を社会や国家が重視する仕組みを構築すべきである。その延長線上には、「カネ」に着目した戸別所得補償制度よりも、「カネ」に換算できない水田の環境保全機能に着目し、例えば農家に対する環境支出という制度の導入が必要ではないか、との政策が出てくる。
月尾嘉男東大名誉教授は、1次産業を環境保全産業、2次産業を資源循環産業と捉え直し、地球環境重視の観点から産業に対する見方を大転換する思想を唱えておられる。農業を環境保全産業と捉えると、水田が赤トンボや蛙を育む機能の価値がクローズアップされてくる。田んぼの生き物は5,470種類にものぼるとの調査がある。これだけの生き物を育んでいる田んぼは生物多様性の豊かさの支え役である。農家は生き物の守り神なのである。残念ながら、産業近代化の過程で農家自身がその役割を見失ってしまった。農薬の多用、除草剤の使用、小川の喪失、子供を農作業から遠ざける農法などにより、農家自身が田んぼの生き物へのまなざしを見失ってしまった。
宇根氏から、「百姓は仕事をしている時は楽しい。農産物を売るときに頭にくる」という話を伺った。農業をカネではなくカネ以外の価値により捉えてはじめて、地域が、日本が、そして世界が環境重視の時代に大きく脱皮することになる。
最近は環境重視の立場からエコロジカル・フットプリント、フード・マイレージ、ウッド・マイレージ、エコロジカル・リックサックなどの環境系指標が続々と示されている。これらの考え方は地域資源を大事にして地球環境の持続性を重視する考え方に立つものである。宇根氏はより具体的な指標を作っておられる。例えば、「ごはん1杯」=「米粒3,000〜4,000粒」=「稲株3株」=「オタマジャクシ35匹」という比較である。人がごはん1杯を食べることで田んぼを維持し、それはオタマジャクシ35匹を養うことにつながる、という理屈である。 日本の農家そして地域、社会、国家が、伝統農業の持つ位置づけの重さを再評価し、それを民族の遺産として継承しようという気持ちになってこそ、地域社会自体も元気になっていくように思われる。
日本の外務大臣も、そうした眼差しを忘れないでTPP議論の是非を論じ、WTOの場でも環境農業重視の具体的基準作りに参加すべきである。
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