「備えあれば憂いなしの法制」

〜平和安全法制の衆議院可決を受けて〜

 7月16日の衆議院本会議で政府提出の平和安全法制が賛成多数で議決され、参議院に送られた。

 委員会での法案審議はこれまで最長だった周辺事態法を超える116時間にも及んでおり、公聴会、参考人質疑も終え、論点は出尽くしたかの感がある。委員会の質問も繰り返しの質問が多く、煮詰まった感があったとの印象を覚えたのは私だけではない。

 一方で、だからと言って国民の理解が深まったかというと、それは別問題である。さらに参議院でのしっかりとした審議を経る中で、国民の皆様が抱く漠然とした不安といったものにしっかりと答えていく必要がある。私自身も、選挙区内のあらゆる機会を通じ、この法制の意味をしっかりと噛み砕いて話をしていきたいと考えている。

 平和安全法制が今なぜ必要なのか、それは、我が国を取り巻く安全保章環境が激変しているから、という点に尽きる。北朝鮮のミサイル配備の進展、核開発の継続、中国の国際法を軽んじた海洋侵出、不透明な大軍拡、国際テロの脅威の拡大といった現実を前にして、我が国の安全保障を確固たるものにするためには、一刻の猶予も置けない状況にあると考えている。

 政府は何もこういう法制を好き好んで導入するというものではないと考える。入れなくて済むのであればそれでもいいが、そうしておかないと万が一の際に起きるかもしれない事態に適切に対処できないので、予め対応するという仕組みだと受け止めている。譬えて言えば、エアバックのようなものではないか。自動車会社は、ある種類のエアバックに衝突の態様によっては膨らまないという不具合が見つかったら、最新のものに代える、という選択をする。しかしドライバーは通常はエアバックの世話になることはないが、それでも代えるという選択をする。その場合に、エアバックの機能を高めると、それに依存して安全運転をおろそかにする、ということはないのである。反対論者は、抑止力に頼ると平和外交をおろそかにすると言うが、エアバックの例を引くまでもなく、抑止力を踏まえての平和外交をしっかりと行うことは勿論である。

 集団的自衛権を限定的に容認することについて、憲法違反だとの指摘がなされているが、現実の事態の変遷に合わせ、政府は苦労して憲法解釈の適正化を図ってきたと考えている。砂川判決は「我が国の存立を全うするため必要な自衛のための措置」、すなわち「自衛権」を認めた判決であり、それ以上でも以下のことも言ってはいない。そして、砂川判決は「自衛の措置」の内容については明らかにせず政治の場に解釈を委ねてきた。その政府は、陸海空軍その他の戦力の不保持、交戦権の否認を含む憲法第9条全体の解釈から、自衛権の行使は「必要最小限度」に止まるものでなければならないとし、したがって、「必要最小限度」にとどまる「自衛の措置」とは何かというのが、憲法論議の焦点となるべきだと考える。先に述べたように、国際安全保障環境が大きく変化する中で、この「必要最小限」について今日的観点から検証した結果、引き続き、国連憲章で認められている丸々の集団的自衛権は認められないものの、我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合に行使する集団的自衛権であれば、「自衛の措置」として認められるという結論に達した経緯がある。

 これが、集団的自衛権の「限定容認論」であり、その具体的な要件を整理したのが武力行使の「新三要件」ということになる。それでも「明白な危険」では不明確という指摘もなされているが、犯罪の構成要件ではないのであるから安全保障の全ての事態を法律に書き切るのは不可能で、それを手続的に保障するために、事前の国会承認という手当が加えられていると理解している。集団的自衛権の行使に関わる仕組みに加え、日米防衛協力をさらに進め、他の友好国との協力を可能とする法制、国際平和支援法制は、国際社会の一員として国際平和と安全の維持に我が国も限定的ではあるが、一定の役割を果たそうとするものである。これを、「戦争法案」とレッテルを貼り、「殺し殺される」という不安を掻き立てるような扇動運動で殊更に貶めようとする動きはとても賛同できるものではない。

 万が一の事態に備え、何かあった時の責任を問われるのは政府であり、政治家である。

 残念ながら、憲法学者は条文解釈に職業倫理をささげるのであり、起きるかもしれない現実のリスクに責任を負ってはくれない。だから、いまだに多くの憲法学者は自衛隊違憲論でいられるのであると認識している。

 過日、共産党系の長野県民医連関係者が会館事務所をご訪問になられ、平和安全法制について4-50分間の意見交換をさせていただいた。皆さんの主張は、日本が再び戦争に巻き込まれる不安で一杯という意見であった。よく伺うと、自衛隊も憲法違反、PKOも憲法違反、ましてや集団的自衛権はとんでもないというご意見であった。そして突き詰めると「無防備が一番」という純粋なご意見をお持ちであった。

 確かに皆さんも平和を確保したいという目的をお持ちである。私からは、政府・与党も平和と安全を守り抜く決意のもとに制度を作ろうとしているのであり、目的は全く一緒であるが、手段として抑止力をどのように評価するかというところで、大きな違いがあると申し上げ、その点では互いに共通の認識をしあえたと感じた。集団的自衛権をこれまで自ら放棄してきた世界の国は日本以外はそうはない。今回の平和安全法制の整備にはG7諸国、NATO諸国、そして地域の安定化を願っている多くの東南アジア諸国も期待している。先般、日本の国会で演説されたベニグノ・アキノ大統領も、南シナ海をめぐる緊張状態を懸念し、日本の平和安全法制に対する期待感を明確に表明された。

 日本が今回の法制整備で戦争に一歩も二歩も近づいたと徒に不安がっているのは日本の国内だけではないかと感じているのは私だけではない。

 いずれにしても、参議院での議論を含め、私自身がありとあらゆる場で、広く平和安全法制についての誤解を払拭する努力をしていくことをこの場でお約束し、衆議院本会議で議決後の議員会館でのメルマガ執筆を終える。


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