「色丹島を訪問して思ったこと」

〜地方創生は領土問題につながる〜

 事前研修を受け、9月19日から21日まで、平成26年度の北方四島交流「後継者」訪問事業に国会議員3名のうちの一人として参加させて頂いた。凝り固まった考えに捉われない若者たちとの島訪問は、思った以上に新鮮なものであった。

 初日の色丹島上陸の際には、地元の高校生民族衣装でパンと塩による出迎えという歓迎を受けた。日露の若者がグループに分かれて、「若者の問題」を皆で議論に臨んだ。討論の中で、若い人たちは、進学や就職で島外に出て言った後は島に戻らず、過疎化が深刻だという話を聞いた。

 島内の道路は未舗装、都市施設も教育施設以外はめぼしいものは少なく、本国の目が行き届いていない地域との印象を受けた。牛がのんびりと道路を歩いている風景は牧歌的だ。湾内には、使い終わった船舶が海岸に多数放置されており、島の環境管理がかなり杜撰である印象を受けた。湾の水質も良くない。島が返還になった暁には、環境面、インフラ面など相当の手入れが必要であることは必至だ。

 二日目は、生徒122名、教師16名の小中高一貫校を訪問した。ロージナ校長の案内で教科毎に分かれた教室を巡回。歴史の部屋では、15世紀から17世紀の世界の領有状況が地図に描かれていた。何と、北海道半分以北は何れの国の領有にも属していない地図が張り出されている。こうした歴史教育の延長線上に北方領土に対するロシアの強硬姿勢があるのかと想像させられる。ロージナ校長からは、この学校での日本人向けのロシア語教育を解説したいとの提案が表明される。斜古丹村のロマンシュカ幼稚園を訪問。70名定員の幼稚園に80名が入園、待機児童100名という状態の由。現在、新しい幼稚園を建設中。島では女性は20歳を過ぎると結婚し、20代前半で子供が生まれる率が高いとのこと。幼稚園児に対する連邦政府の補助金も、第一子には20%、第二子には50%、第三子には100%と子沢山家庭に対する優遇措置が存在することは参考になる。

 斜古丹村の日本人墓地にも墓参。戦後、進駐したソビエト軍に墓までが荒らされ、墓石がソ連人の家の礎石に使われた話も聞く。ホームビジットも体験し、私はアゼルバイジャン出身の地元実業家ガシモフ氏の経営するスナックで懇談をした。役場のグーセワ副村長も同席。色丹島で働く人々を優遇するために、本土に比べ処遇を良くし、給与係数という仕組みの下で、遠隔地ということで本俸に100%を上乗せした上に、北方手当が更に80%加算され、給与面での優遇措置が大きいという話を聞く。それでも物価が高く、やりくりは大変だという話。また、1994年の北海道東方沖地震では震源地に近かった色丹島も甚大な被害を受け、水産コンビナートは全半壊、地震と津波により住宅や村の施設も倒壊するなどして、結果として本土に多くの人が戻ったことで島の人口は1/3に激減したという話も聞く。副村長によれば、この地域の風を利用した風力発電施設建設、海岸に目立つ投棄船舶の計画的撤去も逐次行っていくとの話。しかしこれも、村ではなく、広域政府の仕事だという説明。

 二日目の午後は、島の景勝地イネシモリ海岸の散策とその近くの日本人墓地を墓参。イネシモリ海岸は、戦前は日本人による昆布漁が盛んの由。一時期、韓国資本によるリゾート開発が計画されるも、気象条件などにより沙汰やみになった話も聞いた。夕方、今回の訪問でお世話になった皆様との交流会。若きも老いも伴に日ロ友好の意義を実感する。同行の元島民の得能宏氏によると、色丹島のロシア人島民の歓迎ぶりは他の北方領土とは比べようがない温かさであるとのこと。

 それにしても、根室との行き帰りに、わざわざ、国後島に向かい、古釜布湾沖に停泊し、ロシア官憲による事実上の審査を受ける取り扱いには辟易。往復でこの手続きを経るために、ほぼ丸二日を費やす。ビザ無し渡航が、却って過重な負担を訪問者に課している現実は、大いに改善の余地あり。船中では、同行の北海道大学の地震火山専門家から、色丹島のロシア地震観測所が最近火災で機能不全になっていることに対して、日本政府として何らかの対応が出来ないかともご下問を頂戴する。火山学的には、北方四島の列島成り立ちは、千島列島ではなく、北海道の成り立ちと連動しているとの解説を賜る。

 解団式の挨拶の中で、私からは領土問題に関する客観的な教育の必要性と国会議員全員が一度は北方領土を訪問する重要性を申し上げた。ロシア側が子供に対し歴史教育に力を入れていることに比べ、我が国のそれは著しく淡白であることを感じる。その上で、友好関係の積み重ねによって一日も早い領土回復を来たすことが実は日ロの経済交流の飛躍的活発化につながり、双方の将来にとって利益あることだと信じる。

 ところで、日本では人口減少社会が到来し、北方領土を臨む根室市も過疎化と衰退が止まらない現状である。日本の施政権下の「地方」が疲弊して行くようだと、北方領土返還運動をしても、果たして返還後の四島を発展させることができるのかと疑問符をつけられかねない。日本の津々浦々を元気にすることにより北方領土返還運動のより大きな説得力を持たせることが出来ると強く感じた次第である。地方創生の理念は領土問題に繋がるのである。


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