「年金問題と原子力発電に共通する課題」

〜負の遺産の解消と将来負担の二重の負担〜

 社会保障給付に関する世代間格差が大きな問題になっている。大学のゼミで学生から年金問題についての勉強の成果を聞くなかで、年金制度を変更する場合の最大の問題は、制度改正前後の過渡期の処理の仕方であるとの議論に行き着く。

 少子高齢化が進む中、現役世代の税・保険料で年金受給世代を支える賦課方式の下にあっては、現役世代・将来世代の負担が重く、生まれた年代毎に、保険料負担と年金給付の損得の差異が大きくなり、公平のバランスが崩れ、結果的には年金財政が立ち行かなくなるとの懸念が生じている。

 世代間の公平を期するためには、個々人の納めた保険料に応じて年金を給付する積み立て方式に制度を改めるのが簡明であるが、単純に、賦課方式を積み立て方式に改めるには大きな問題がある。

 具体的には、これまで賦課方式で保険料を支払い、未だ年金を受給する年代に至っていない方々の年金をどのように整理するのかという問題である。公平に考えれば、その方々がこれまでに支払った保険料分の清算が必要である。これらの世代は、賦課方式の元で受給世代のために保険料を払いながら、自らが受給世代になった際には、その時の現役世代の負担が重くなり、現時点での受給世代の給付水準を給付されない可能性が高い。

 しかしながら、自分の年金の積立を行いながら今の受給世代の給付財源である保険料を払い続けるのは二重の負担となり耐え切れるものではない。現役世代が賦課方式の元で支払ってきた保険料の額は膨大な額に登る。それを清算するには、年金基金の積立分の何倍にも上る巨額が必要となる。

 結局、年金問題は、白地でものを考えることが困難であることにより、抜本的な制度改正議論が常にデッドロックに乗り上げる。

 元々、積立方式で始まったはずの公的年金得制度が、人口がピラミッド型であった時代の日本経済の高度成長の中で、高齢者に実質的価値のある年金を支給するために、その時代の現役世代が高齢世代を支えるという賦課方式に改められた。

 しかし、時代は移ろい、極端な少子高齢化の時代を迎え、賦課方式では世代間の不公平が極まり、将来給付に対する持続可能性が疑われる事態となっている。過去の負の遺産を現役世代・将来世代は背負いこんでいるのである。そして、これを簡単に清算することはできない。

 同じことは原子力発電にも言える。日本社会は、脱化石燃料発電を目指し、いつしか安定して低コストの原子力発電にのめり込んでしまった。東京電力福島第1原発の事故により、俄かに脱原発の気運が盛り上がっている。安全性に関する国民感情や放射性廃棄物の処理が困難であるという事情からすると、今後も原発に頼るエネルギー政策が可能だとは到底思えない。

 一方で、そのエネルギー転換の負担は想像を絶する額となることは必定である。原発を廃炉にして、核廃棄物を処理し、原発立地地域に適切な保障を行いつつ、併せて再生可能エネルギーや高効率の化石燃料発電を推進するとなると、負の支出と前向きな支出の二重の負担が国民経済に重くのしかかる。

 年金制度になぞらえれば、「原発廃炉等のコスト」=「過去債務の清算」であり、「新たなエネルギー投資」=「積立方式の負担」というアナロジーになろうか。

 問題は、少子高齢化が進み、ただでさえ活力が失われて行くと予想される日本経済に、年金制度の負担やエネルギー転換に向けた巨額負担に耐えうる体力があるかどうかである。更に付け加えれば、今後見込まれる巨大地震に備えた国土強靭化の投資も巨額である。

 我々には、これからの社会の在り方を考える中で、目先の議論ではなく、我が国の将来の在り方について、様々な世代の立場を公平に考え、負担の側面も十二分に意識した、持続可能な制度を作り上げる責任がある。


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