「槍ヶ岳山荘の経営を通じて思うアルプス山岳観光の将来」

〜槍ヶ岳山荘の穂苅康治社長の思い〜

 槍ヶ岳山荘の穂苅康治社長と長年の山小屋経営を通して感じているお話を承る機会を得た(その模様は下記の注のustreamで保存)。アルプスの高嶺の雪の彼方にある山小屋は、我々の普段の生活から遠い天上世界の彼方の話のように思っていたが、穂苅社長の話を伺っている中で、様々な観点で地域社会と密接に結びついていることを知り、新たな驚きを覚えた。

 アルプスがなければ今の松本の観光は成り立たない。全世界から山岳愛好家を集める魅力は人の力では築き得ないものであるが、かといって人の営みなしにはそれを支えることはできない。

 山小屋の経営は一過性では成り立たない。持続可能な視点が無いと山小屋経営は破綻してしまう。京都大学出身のインテリ山小屋オーナーの穂苅社長は、先祖から受け継いだ山小屋の資産をどのように将来に引き継いでいくかを真剣に心配している。

 穂苅社長から、最近登山客のマナーの低下が著しいという話があった。昔は大学や実業団の登山家の限られた趣味であった登山は、今や気軽に楽しめるハイキングのような趣に変わりつつある。中高年の登山客、「山ガール」と形容されるファッショナブルな登山。山が多くの人に親しまれることは良いことなのだが、マナーの低下が著しいとの話は眉をひそめる。

 食糧が不足したから110番電話をし、食料を持ってきていくれと気軽に要請をする登山客が少なからずいるのだそうだ。登山時の遭難に備える保険に未加入のままアルプス登山を目指す人も多いのだそうだ。山小屋のトイレやゴミ処理の問題は特に難しい。

 しかし、多くの登山客に来てもらえないと山小屋経営は成り立たない。環境負荷をできるだけ抑制し、登山マナーを順守し、多くの登山愛好家に入山してもらうためにどのような制度的環境整備を行うのか、行政の対応が待たれる。

 財政的には、受益者負担の観点から、「入山税」などの目的財源を確保する手法も検討されている。遭難救助時に、県警対応だとタダで、民間救助隊対応だと有料だという差異も公平性を欠く。

 一方で、アルプスは複数の自治体にまたがる山岳地帯であり、特定の自治体だけが目的財源を科すと、入山客が負担の無い自治体からの入山に切り替えるというディストーションも見込まれる。こうした案件には広域対応が求められる。

 こうした現代的課題に加え、登山の歴史を紐解くことも大事である。松本駅前に播隆上人という槍ヶ岳の開祖の銅像が槍ヶ岳の方向を向いて立っている。穂苅社長から、私の江戸時代に生きた先祖が、天保年間に播隆上人を槍ヶ岳に案内した史実があるという話を伺った。影邦直系の子孫の私と話をすることは感慨深い思いがすると語ってくれた。

 その話を聞いて、ずいぶん前に父親が教員退職直後に編んだ現代版家史にもこのことが記述されていることを思い出した。それによると、我が6代前の務台与一右衛門景邦という長い名前の先祖が天保6年(1835年)、齢66歳で槍ヶ岳に播隆上人と供に登った記録が当時の景邦日記に記録されているとのことであった。

 穂苅社長と対談の後、改めて松本駅前の播隆上人像の前に赴き、177年ぶりに先祖に代わり播隆上人にご挨拶させていただいた。

 しかし歴史は皮肉である。槍ヶ岳を開いた播隆上人は、実は地元の人から疎まれた事実もあるようだ。播隆登山の翌年、天保7年にこの地域は凶作に見舞われた。その原因が播隆上人の槍ヶ岳登山、山を開いたことにありと非難の声が出て、上人は美濃へ出立と記録にある。

 神聖な槍ヶ岳に人が足を踏み入れることは神を冒涜するという感性があったのであろう。しかし、こうした当時の地元の民の意識は決して非難はできない。現代の登山客は、山に対する敬意を忘れない登山マナーを順守し、末永くアルプスを愛し守っていかなければならない。

(注) 槍ヶ岳山荘の穂苅康治社長との対談の模様のリンク
http://www.ustream.tv/recorded/21515607


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