「『信州型事業仕分け』に参加して」

〜県議会との関係の整理が必要〜

 9月4日に信州型事業仕分けに公募により採用された「県民仕分け人」として参加した。私が仕分け議論に参加した事業は、消防団の活性化や山岳遭難関連事業であった。

 仕分け作業における議論自体は、いわば当たり前の議論であり、コスト・パーフォーマンスに見合ったものか、県民の税金を投入しても維持されるべきものか、新たな財源確保により拡充を目指すべきではないかといった観点に立ったものであった。

 仕分け対象の中には、何故敢えてこの案件を仕分け対象にするのか理由がよく分からないものも見受けられた。他に仕分け対象にすべき大きな事業が見逃され、事業の意義に疑いのないものが仕分け対象になっているという印象も否めない。

 結果として今回の仕分けの意義とは、仕分け人から多様な指摘を受けることで、その事業を遂行している県の職員に、緊張感を持って事業を不断に見直す必要性を感じさせることにあったような気がしている。事業シートに自ら実施している事業の位置づけを書き込み、評価される過程で、独りよがりの見方が是正されて行く、ということであろうか。構想日本の加藤秀樹代表も、仕分けの評価にあたって、そうした点を強調していた。

 それでもなお、基本的な疑問が残る。それは仕分け議論と県議会の位置づけである。我々が議論に参加した作業は、実は県議会が各委員会で議論を行ったり、監査委員制度の中で行われるべきものである。或いは、県自身の行政評価制度の中でしっかりと行われて然るべきものである。県議会議員が今回の仕分け作業を見学に来ている姿は主客転倒ではないかとの印象を持った。

 このような大がかりな「仕分け」という仕掛けを作ってまで行うべき趣旨がいまひとつ判然としない。敢えて理由付けを行うとしたら、これまでの県議会や監査委員会制度、県の行政評価が不十分であるということを言外に込めているのかもしれない。

 また、仕分け人に選ばれる人の人選は難しい。仕分け人は、県議会議員とは異なり県民の信任を受けたわけではない。おまけに今回仕分けも県外の人が多く、また、政府から精通者として仕分け人が送られてきたりと、長野県の事業が、「言葉の違う」長野県以外の人たちに仕分けられていることに奇妙な思いがした。関西弁による仕分け作業は実に奇妙であった。

 しかも、長年地方行政に携わってきた私自身が聞いていて仕分け人の指摘が的を得ているものから、仕分け人の質問の意味がよく分からないものまで玉石混交であった。仕分け人の仕分け能力の検証も大きな課題である。

 仕分けの受け手の県庁の職員の手間も大変であったことが見込まれる。懸案山積のこの時期に「内部管理事務」の仕分けに大きなエネルギーを注いでいることにどこまで意義があるのかどうか、そのことも気にかかった点である。仕分けにかけた間接直接のコストについても興味が湧く。

 仕分け作業は一種のイベントである。イベントにばかり現をぬかしているほど、今の県職員には余裕はないだろう。早く、仕分け作業自体を不要とするように県議会などの機関が本来機能を発揮されるような状態に至らせることを願いたい。

 ところで、蛇足であるが、政党支部長の立場にある私が仕分け人に選任されたことで、民主党県連が県庁にクレームを入れると記者会見したとの報道があった。私自身は政党人としての立場で参加しようとしたわけではない。おまけに神奈川県選出衆議院議員の河野太郎氏も長野県の事業仕分けに参加した際には長野県民主党県連は何のクレームも差し挟まなかった。何故私の仕分け人参加に対してだけクレームを入れるのか理解不能であった。県庁の担当課からは、その後民主党からのクレームがあったとの話は聞かない。その結末も知りたいところである。


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