「合併市の市議選で中山間地出身議員の善戦に思う」

〜国政選挙にも「ふるさと選挙制度」を〜

 2011年の地方選挙である松本市議選挙と長野市議選挙を見て些か思うところがあった。両市とも平成の大合併で周辺の中山間地域町村を合併して大きくなった。その被合併地域を併せた市議選が行われたのである。

 常識的には人口の少ない被合併地域は、有権者数の多い市街地に比較して劣勢が予想されるのであるが、松本市と長野市ともに、人口の少ない被合併地域である中山間地域を地盤とする候補が善戦をした。

 松本市内では旧安曇村、旧奈川村、旧波田町や旧四賀村を地盤とする候補、長野市内では旧中条村、旧信州新町、旧戸隠村や旧鬼無里村を地盤とする候補が地元を固めた上に市街地在住の有権者の票を取り込み、上位当選した。

 これは何を意味するのか。合併によりそれまでの旧町村が大きな行政区域の中で埋没することを何とか避けたい、そのためにはそれぞれの地域を代表する議員を議会に送りだしたい、という熱意が被合併町村部には存在する。候補者の集会に顔を出しても異口同音にそうした声が出る。昭和の大合併で吸収合併された地区が廃れてきた歴史を繰り返したくないという教訓がそこには見て取れる。

 投票率にもそのことは現れる。旧市街地域や人口稠密地域の投票率が50%に大きく満たない中で、被合併地域の投票率は65%から80%を超える高率である。おまけに、中山間地域である被合併地域から市街地に下って行った人たちは、自分の本来の故郷に対する思いが強い。長野市内では「同郷会」組織も作られて、政治的な団結の中核ともなっている。そしてその構成メンバーの多くは、自分たちの故郷を守ってくれる役割を果たす市議会議員に投票を行う。

 長野市議選の決起集会で、新たに長野市に加わった旧中条村出身の年配の長野市在住者が、「自分を含め多くの若者が高度成長時代、中条村から長野市に降りて行った。長野市は人口が増え、中条村は急激に人口が減った。心の中で中条村を守ってくれている故郷の皆様に申し訳ない思いでいた。今回中条村が長野市に合併し、我々もようやく、中条を守ってくれる議会の代表者に投票という形で貢献できるようになった。多くの市街地に住む中条村出身者に声をかけたい」と語った言葉が印象的であった。

 その結果、有権者数の絶対数が少ない地盤の候補者が上位当選を果たすというパラドクスが起きる。要するに、中山間地域を守らねばならないとの危機意識が投票行動を通じて代表者選択に関して大きな役割を果たすということである。

 翻って、国政選挙の場合は如何か。一票の格差の是正により、ますます地方選出の国会議員の数が減り、都会出身の国会議員数が増えようとしている。しかし私自身の経験的実感として、東京に居住していた頃に、自分の住所地選出の国会議員には殆ど興味が沸かず、自分の出身地域の長野県の国会議員の動向には大きな関心があった。東京の住所は頻繁に変わったが、自分の本籍や出身地の実家の住所は変わらない。いずれ故郷に帰るものだという漠然とした思いもあった。たまたま住んでいる現住所地選出の国会議員よりも、自分の故郷を守ってくれる国会議員に対する思い入れの強い人は決して少なくない。

 そういう思いを選挙制度に反映できないものか、とかねてから考えていた。一票の格差を是正するという憲法論だけで都会出身の国会議員ばかりが増えていっていいものか。私は都会に住んでいても、国政選挙の投票は自らの故郷で行いたいという人の意思を活かす制度があってもいいのではないかと思う。

 「ふるさと納税制度」が導入され、自らの住所地以外に住民税の選択納税が可能となっている。国政選挙においても、同様の「ふるさと選挙制度」といった仕組みの工夫が考えられないものか。例えば、衆議院の小選挙区選出国会議員は有権者の投票選挙区の選択を認める、或いは次善の策として、都会における地方出身者を想定した潜在的地方有権者層を想定した一票の格差の議論を行う、といった制度作りの議論もあり得るのではないか。

 高度成長時代、経済力の強い地域に人口が集中した。その都会は豊かさと利便性と繁栄とを享受した。その繁栄のみならず、民主主義の代表者数まで圧倒的多数により一人占めするような政治的仕組みは、過度にいびつである。仕組みが複雑になり過ぎる弊害を加味したとしても、選挙制度における「人口比例」という形式的平等主義について、もう一度考え直す機会があってもよいのではないかと、合併市町村の市議会議員選挙の投票結果を見て、考えた次第である。


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