自由民主党

衆議院議員 むたい俊介オフィシャルサイト 長野2区 自民党
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理念・政策・メッセージ

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2010.05.09

「松本で育まれている音楽文化を
地域発展の起爆剤に」

〜スズキメソードの成果を目の当たりにして〜


 2010年4月下旬、知り合いに誘われて「スズキ・メソードで育った子どもたち250人のピアノ10台のコンサート」という長い名前の演奏会を松本市島内のザ・ハーモニーホールで拝聴する機会があった。


 海外から参加の17名の子どもたちを含め250名の子供たちが、10台のピアノで入れ替わりで一糸乱れず一斉に演奏する風景は壮観であった。ピアノ演奏はソロかせいぜいオーケストラと供に演奏するのが当たり前であると思いこんでいただけに、「エリーゼのために」や「トルコマーチ」、そして「ノクターン」や「ラ・カンパネラ」までもの複雑な曲を10人が一斉に奏でる様子は、鳥肌が立つ感動を覚えるものであった。会場は、もちろん我が子の晴れ舞台を「見に」そして「聞き」に来た関係者で一杯であった。
 このユニークな音楽会を生んだスズキメソードは、それこそ松本市が生んだ世界的に有名な音楽教育技法である。創始者の鈴木鎮一氏は、「どの子も育つ 育て方一つ」という幼児教育の指針の下、「暗譜」と「繰り返し」によりバイオリンやピアノを子どもたちに学ばせてきた。独奏楽器のピアノを10台のアンサンブルに編成した方法は、片岡ハルコさんという独創的なアイデアの持ち主の発案によるのだそうだが、それにしても複雑なピアノ曲を徹底した訓練により極めて完成度の高い一糸乱れぬ演奏に仕上げた努力は驚嘆に値する。


 集中力を養うために楽器を用いることは優れた手法だと思う。私も子供の頃ピアノを習っていたが、今から思えば、ピアノの1曲を弾きこなすのに非常に集中力を要した記憶が蘇る。その頃の集中力がいまだに体に染みついているせいか、子どもの頃に馴染んだ曲は今でも途中までならば弾くことができる。そして、何故途中でピアノを止めてしまったのかという後悔の念がよぎる。そのまま続けていたら一生の友としてピアノがそばにいてくれたのに。受験勉強のためにピアノから離れたが、今その受験勉強はどのような形で自らの身になっているのか皆目見当がつかない。
 鈴木鎮一氏は、音楽の持つ教育機能について、「音楽を通じて直接バッハやモーツァルトが子供を教育してくださっている」、「偉大な作曲家たちが、幼い子供たちを無意識の中にノーブルな魂や美しい音楽性を育て、人間形成をしてくださる」と語っておられる。また、片岡ハルコ氏は、「人間には五感があります。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚です。その感性は大自然から頂いてきたものです。人間がどんなに頑張っても作れるものではありません。その、全ての人間が公平に与えられた感性を、もっと感謝して大切に扱わなくてはならないのです」、「その子の住む環境の条件で、先ず最初に見たもの、聞いたもの、味わったもの、触れたものをみな吸収していきます。そしてそれが故郷になるのです。最初が大切です。途中からそれを変えることは、とても難しいことです。何とかして、生まれてきたすべての子供達に、良い音楽を聞かせてやりたいものです」と語っておられる。


 真に至当な理念だと感じ入る。鈴木氏も片岡氏も既に鬼籍にお入りになられている。しかしその考え方と手法は、後継者たちによって連綿と引き継がれている。松本市が生かすべき教育文化伝統の一つに、この音楽技法があるように思える。スズキメソードの世話になっている音楽愛好家は全世界に散らばっている。
 ところで、数年前のロンドン滞在中、幾度となくロンドン市内の演奏会を聞きに行った折に、松本市にサイトウキネンオーケストラとスズキメソードの本拠があることを多くの方が知っていることに驚いた思い出がある。欧州の音楽専門家の中でサイトウキネンのことを知らない人はいないということを教えてくれた方もいた。


 なぜ松本でサイトウキネンが行われるのか、という疑問に関して、様々な見解があるとは思うが、私は鈴木鎮一という世界的に知られたバイオリン教育のパイオニアが松本を拠点に独自の音楽教育方法を開発し多くの弟子を輩出してきていたために、サイトウキネンを松本に誘致したいという地元の熱意とそれを支える音楽的教育文化の蓄積と広がりがこの音楽の祭典を引き寄せたに違いない、と確信している。
 因みに、中国問題の第一人で東京外国語大学の元学長、松本出身の中嶋嶺雄氏も、何を隠そう、スズキメソードの教え子だ。2007年に私がロンドンで同氏の講演をアレンジした際に、中嶋氏から、「実はスズキメソードの第一期生で、文化大革命の最中に、当時中国では紅衛兵に目の敵にされたバイオリンを持ち出し、演奏をした」というエピソードを語っておられた。弾いた曲は何と、「東方紅」だったのだそうだ。スズキメソードの遺伝子はその薫陶を受けた方の専門分野を問わず世界中を駆け巡っている。1人の音楽教育家の存在が発端になり松本の名前を世界に轟かせている。1つの才能が別の才能を引き寄せ、それが集まると世界的なものとなる。サイトウキネンはその結晶である。
 松本市もその文化的土壌にふさわしい施設「まつもと市民芸術館」を整備している。住民の方からは松本市には豪華すぎるとの批判もあったようだ。しかし当時の有賀正市長は政治生命をかけてその実現に尽力され、実際に市長としての政治生命を失うことになった。しかし、その評価は後世の歴史が判断することになる。
 松本市や長野県が行うべきことは、こうした先人の残した教育遺産や文化遺産を更に発展開花させることである。得難い芸術文化の拠点があることは世界から人を呼び寄せる磁石となる。私は、松本市に音楽教育の高等教育機能を誘致する運動が、松本市のこれからの発展にとってふさわしいもののように思えてならない。これまでの音楽教育文化の蓄積を更に拡大し、世界中から質の高い人たちを集めるために、松本市には更に洗練度を高めて行ってほしいと思う。これからの地域発展の鍵は、教育と人材育成抜きには語りえない。「米百俵の精神」は音楽文化にも当てはまる。


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